「発達障害かもしれない」という不安
<はじめに>
「発達障害かどうか診断してほしい」という大人の方の相談が最近精神科や心療内科に多く寄せられているようです。「大人の発達障害」という言葉もよく見かけるようになりました。そして、私もこれまでの臨床経験の中で相当数こういった相談を受けてきました。そのため、今日は「発達障害かもしれない」という大人の方の相談について私の体験をもとに書いてみたいと思います。
※このブログの中で使用する「発達障害」という言葉は、「自閉スペクトラム症」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」をまとめた言葉として使用しています。「アスペルガー症候群」、「広汎性発達障害」、「高機能自閉症」といった言葉も「自閉スペクトラム症」に含まれているとお考えください。
発達障害が具体的にどのような定義・概念であるか、その歴史的変遷などはここでは詳述しません。
ただし重要な点として押さえておきたいのは、「診断が難しい」ということと、「原因がはっきりしていない」ということでしょう。
※発達障害という概念のわかりにくさ、診断の難しさについては「こどものための精神医学」という滝川一廣先生の本が非常にわかりやすいです。
<発達障害かどうか>
「発達障害ではないか」「発達障害かもしれない」という不安を抱え、相談・受診に訪れる方の多くは「対人関係の問題」と「不注意の問題」を訴えることが多いように感じられます。
対人関係の問題としてよく訴えられる主訴には、職場でうまくいかない、友人関係が続かない、親子・夫婦関係の問題、(職場、学校で)いじめられやすいなどが挙げられます。そしてその結果、転職を繰り返している、ひきこもっている、孤立しているといった状態になっていることがあるようです。
不注意の問題には、忘れ物が多い、物をなくす、遅刻が多い、同時に2つの事が出来ない、整理整頓出来ない、仕事の段取りがうまく立てられないなどが挙げられます。そしてその結果、上司に怒られる、日常生活がうまく回らない、進級が危ういなどといった状態になっていることがあるようです。
ちなみにこういった困り感の報告だけでは発達障害かどうかはわかりません。こういった症状がいつからか、どの程度か、どのような状況で問題が起こるのか、他の困り感はあるかなど詳細に聴いたり、心理検査を行ったり、他の疾患を除外したり、親御さんからお話を聞いたりして精査し、最終的に主治医が診断を行います。
上記のような精査をした結果、
A:診察をした主治医も検査をした心理士も発達障害であろうと合意できる場合
B:発達障害かどうかについて両者の見解に違いが生じる場合(最終的な判断は当然主治医になりますが)
C:心理士も主治医も発達障害ではないだろうと判断する場合
の3つのパターンに至ることが私の場合多くありました。
AとBのパターンについては発達障害の傾向がある程度認められるだろうということで、福祉サービスの利用や服薬、診断書の発行、職場や学校での調整(合理的配慮)、生活上の工夫の相談、心理教育などが、ご相談者様の意向を踏まえながら検討されます。
※発達障害かどうかだけわかればいい、とその後の支援や診察を一切求めない方も多くいます。
難しいのは3つ目のパターンです。発達障害ではないだろうと思われる方々です。発達障害ではないかもしれませんが、その方々が対人関係の問題や不注意の問題で苦しんでいるということが否定されるわけではありません。
つまり、それらの問題は発達障害以外の他の要因によって生じている可能性があるということです。
<発達障害以外の問題>
では発達障害以外にどのような問題が背景にあるのでしょうか?大まかにいうと、他の疾患・障害である可能性や、心理社会的な要因が背景にある可能性などが考えられます。対人関係がこじれる原因や仕事や生活上のミスや忘れ物が増える要因は当然ながらいろいろあります。
1つ具体的な例を挙げながら考えてみたいと思います。ここではより個人的な考えや性格が影響している場合について取り上げました。
【不注意なミスに困って来院したAさん】
営業職に従事するAさんはダブルブッキング、忘れ物、遅刻が多く困っており、ADHDではないかと上司に指摘され、来院されました。Aさんはこういったミスをしてしまう自分を過度に卑下し、落ち込まれていました。思春期以降くらいからこういったことに悩まれているようでした。
Aさんのお話を聞いていくと、業務量があまりに多く、休みなしで働かれているようでした。しかし周りの同僚はAさんほどの状況ではないようです。Aさんは睡眠や生活習慣も不規則で、このような状態ではミスも生じてしまうだろうと思わずにはいられない状況でした。しかし、特徴的なのはAさんが「これは社会人としては当たり前の量で自分はまだまだ足りない」と繰り返していたことです。
このようなあまりにストレスフルな仕事状況が最終的にはスケジュール管理、物の管理のミスとしてAさんの場合生じていたようです。そしてAさんは、自身がこのような状況に苦しんでいるにもかかわらず、この働き方をなかなか変えたくないとも思っているようでした。
面接の中で、このような働き方の背景にはAさん自身の自覚していなかった「無意識的な不安」があることがわかってきました。それは言葉にするならば、「誰かの役に立っていないと自分は存在していないのも同然だ」というものです。こういった「無意識的な不安」を緩和するためにAさんはがむしゃらに働いていたようです。
Aさんの場合、心理面接を継続していく中で、こういったAさん自身の不安が緩和されていき、それに伴って不注意症状は大幅に改善されました。そもそもの働き方自体が変化したためです。
これはもちろん私が経験したことをアレンジして書いた創作のケースです。そして、具体的な治療プロセスを省略して結論だけ書いております。実際には「無意識的な不安に気づくまで」、「Aさん自身の不安が緩和されていくまで」にはある程度の時間がかかっています。
このケースのように、不注意の背景に相談者様の性格・価値観・考え方の特徴が見られ、そのことが知らず知らずのうちに生活に歪みを生じさせているということは実際あります。
不注意ではなく、対人関係の問題を理由に発達障害では?と来院される方の中にはなおさら、対人関係を滞らせるようなご本人が自覚していない感情や考えが背景にあり、問題を呈してしまっている方がいらっしゃいます。それは例えば、自信のなさ、自己嫌悪、承認欲求、嫉妬心や羨望、怒りや攻撃性、親しみや愛情、猜疑心や信頼感などにまつわるものだったりします。
このように個人的な問題に原因があるかのように書くと、まるでその方の「性格が悪い」と言っているように読めてしまうかもしれません。当然重要なのは良い/悪いの「評価」ではなく、何が起きているのかという「理解」になります。
そして最も大切なことは、何らかの感情・考え、性格的な偏りは、その方が生きるためにはある時期必要だったということが往々にしてあるということです。だからこそ、変えたくても変えられなかったり、わかっていても変化しにくかったりするのが人の生き方や性格なのだと思います。
<最後に>
アダルトチルドレン、発達障害、HSPなど様々な心の苦しみや人間関係の苦しみを表す言葉はときに「流行り」ます。こういった言葉を知ることをきっかけに多くの人が自分について考え、カウンセリングオフィスや相談機関を利用しやすくなるとしたら、それは良いことかもしれません。しかし、「流行る」ことは良い影響だけを生むわけではないので、注意が必要です。
「発達障害か否か」だけではなく、その苦しみの背景にも目を向ける必要が私たちにはあるのだと思います。