ブログ

 

ブログ

精神分析的サポーティブセラピー(POST)入門を読んで

 だいぶ久しぶりのブログになってしまいました。

 先日精神分析学会が終了し、そこで購入した精神分析的サポーティブセラピーPOST入門を読みました。いろいろと話題になっている本ですが、基本的にさらっと読めて、特に若い方やこれから精神分析的アプローチを学ぼうと思っている方にはおすすめしたい本だなと思います。
 当オフィスでPOSTを実践することはあまりないですが、私が勤務している精神科クリニックでの面接は8割~9割がPOSTといって良いだろうと思っています。

 書籍は納得感が強く、「全くその通り」と思える箇所がたくさんあるのですが、一方で何かモヤモヤ感もずっと一緒に生じていました。そのモヤモヤが言葉にならなかったので、学会で執筆者の方々が実施していた精神分析的サポーティブセラピー(以下POST)の教育研修セミナーもオンラインで視聴してみました。そうすることで、徐々に自分の中のモヤモヤ感やPOSTに対する考えが言語化できそうに思えたので、今日は書いてみたいと思います。


1.とりあえず輪郭づけした「POST」
 従来名前のついていなかった『分析的な理解を活かした(に支えられた)日常的な面接』にPOSTという名前をつけたという試みはとても有意義なものに感じました。名前がつくと、そうした実践を議論しやすくなるからです。
 執筆者の山崎先生はセミナーの中でPOSTを、「臨床現場」からボトムアップ的に輪郭づけられたものとして説明していました。ある実践にPOSTという名前をつけて考えようとすると、「POSTは精神分析的セラピーの支持的要素が濃いものとどう違うのか」「理論的な位置づけはどうなるのか」といった疑問や、「そもそもPOSTと輪郭づける必要があるのか」といった意見が生まれます。セミナーでは指定討論の伊藤先生がこうした指摘をされていましたが、この点は私も同感です。ただ、この議論を始めてしまうと、かなり複雑な議論になってしまいますし、考え続けることは大事だと思いますが、そこまで結論を出すことに意味があるだろうか、というのが正直な思いです。
 おそらく執筆者の方々もこのような意見は重々承知していると思いますが、ただPOSTで重視したいのはそこじゃない、という思いがあるのではないかと思います。教育研修セミナーで山崎氏が『日常臨床の中で精神分析の理論を使っている人たちが、「でもちゃんとした訓練受けてないし、ちゃんとした分析セラピーじゃないから発表できない」となってしまうことはあまりにも勿体ない』という主旨の発言をされていましたが、私も全く同意見です。精神分析理論を活かしながら行っている臨床実践に「とりあえず」名前をつけて、精神分析的セラピーを議論する場とは別に、議論の場を設けるということを重視されているのだと思います。

 私が山崎先生の意見に賛同するのは、これまでの私自身の体験がそれを支持するものだからです。私は精神分析が全く主流ではない大学院に在籍していたので、かなり外のセミナーで精神分析を学んでいたのですが、卒業後に多くの同期から連絡を受けることになりました。それは「精神分析理論を学ばないと病院でやっていくのが大変だ」、「精神病や病態水準を理解するのにおすすめの本はどれ?」、「精神分析の初心者向けの本ない?」といった内容です。彼らは必ずしも精神分析的セラピーを実践していくことを目指していたわけではありません。しかし、日々の実践の中で精神分析的な理解や理論を使用することは多いに役立っているようでした。その後、私はピアグループをいくつか立ち上げ、いろいろな現場で働く人たちと共に精神分析理論を学んできましたが、「やはり精神分析はいろいろな形で日々の実践に役立つ」ということを実感し続けてきました。今もその思いは変わりません。
 そういった体験を経て、私は当時「精神分析を“(座学で)勉強すること”」の意義についてもっと強調されてもいいのに、と感じていました。精神分析家になるには正式な訓練を経ないといけないけど、精神分析理論を座学で学ぶだけでも日々の臨床実践に活かせる、役に立つ、という感覚があったからです。

2.私のPOST理解
 次に、書籍やセミナーを視聴した上での私のPOST理解について書いてみます。まず、POSTなる実践があることは自分自身の日々の臨床生活を振り返っても十分に理解でき、納得感が強いと感じます。
 書籍やセミナーの中で出てきた表現を使いながら、私の中でPOSTを言語化するとしたら「精神分析理論を後方に配置しながら、その臨床家が自分の持っている臨床的な手札を駆使して、患者の現実適応を支える心理面接」になるかなと思います。

 セミナーの中で参加者の方から「発表者の先生方は使えるものは何でも使ってるんですか?実際どんなものを使っているんですか?」という質問がありました。節操なく使うことへの警鐘をならしつつ、ある先生は「腹式呼吸の練習」、別の先生は「本の紹介」などを例として挙げていました。私自身は上記の2つを行うことはあまりないですが、助言、心理教育のほかにCBT的、行動療法的な介入は用いたりします。POSTを実践されている先生方は上記の介入に対して「私も使っている」とか「私はソリューションの技法が多いな」などいろいろな感想があると思います。ここには手札の違いがある(重なりももちろん)ということですが、どれもPOSTをやっていることにかわりはないでしょう。
 つまり、POSTをPOSTたらしめている最も重要な要素は「後方に精神分析理論を置いている」ということだと思います。

 ここまできてやっと私の当初のモヤモヤ感に入るのですが…
 私が感じたモヤモヤ感は、『POSTの書籍やセミナーの中で出てきた「心に留め置く解釈」、「転移外解釈」、技法ではないが「自我を支持する」「退行抑止的に関わる」という姿勢・方針などはPOSTの中でもかなり「難しい」技法ではないだろうか』というものです。

続きます。

3.POSTのトレーニングについての私見
 関先生があとがきに「『POSTを学びたい』と思った時に何をどう学べばいいのかについては手がかりが何もなく、それについての議論は充分にはされていません」と記載しています。確かに現段階でそうなのだと思います。
 まず前提として、「POSTをPOSTとして学んだ」という人はいないと思います。発表者の方もそうだと思いますし、私もそうです。POST、つまり『精神分析理論を後方に置きながら様々な手札を駆使して行うサポーティブセラピー』を行っている方々が学んできたのは、精神分析理論でしょう(もちろんその他の手札になるものも同時並行的に学んでいるわけですが)。当たり前といえばそれまでですが、精神分析理論を後方に配置するためには、『POSTを学ぶ』のではなくて、精神分析理論を学ばなければいけないということです。

 ただこのときに「学ぶ」にはスペクトラム、または段階、様々な方法があると思います。精神分析理論を学ぶときには座学などの知的な理解から、ピアグループ、ケース検討会、グループスーパービジョン、自分で行う実践、個人スーパービジョン、個人セラピーなど体験的な学びまで幅があります。その方の経済状況や地理的な問題などによって、どのような学びが行えるかは異なります。しかし、POSTにおいて大事なことはどの学びの段階にいる人であっても、POSTを実践することは可能だという点でしょう。

 ただそのときに、学びの段階によって積極的に使用できる技法は異なるのではないか、というのが私の考えです。ここで私が指摘している点は、山崎先生が書籍で書いている「使いやすい精神分析」と「使いにくい精神分析」に関連した話です。

 書籍のp26に「訓練セラピーなしでも知識は活用できると述べましたが、精神分析の治療論や技法は訓練セラピーなしに日々の臨床実践にそのまま役立てることは難しいでしょう」と山崎先生は書いています。そして、あとがきで関先生は、POSTは訓練セラピーなしでも行える実践であるということに触れています。この論からすれば、精神分析の治療論や技法はPOSTでは使用できないことになります。つまり、「心に留め置く解釈」や「転移外解釈」は精神分析の技法論だと思うので、訓練セラピーなしには使用できない、となってしまいます。

 ただこれはもちろん書籍を批判したいわけではなくて、「程度問題だ」という話に落とし込めるのではないかと思います。
 つまり、精神分析理論を座学で学んでいるだけの状態の場合は、見立てやアセスメントに理論を活用しつつ、介入としては精神分析由来の技法を使用することは控え、そのほかの手札を駆使する必要があるでしょう。そこに、体験的な学習が重なるにつれて精神分析由来の技法も少しずつ手札として使用していく(もちろんPOST的な注意点を意識しつつ)のが良いのではないか、ということです。
 これは体験的な学びを経るまで分析的技法の使用を禁止すべきとか、段階によってあなたはここまで使っていいけどこれは使ってはダメ、とかそういう管理・支配的な発想を示唆しているわけではありません。精神分析理論を『後方』に配置しているわけなので、分析由来の技法の使用については慎重であるべきだろう、ということです。

 このように考えるのは、やはり体験的学習の重要性は強調しても強調しきれないほどある、と私自身がこれまでの経験上感じているからです(書籍でもそのことは繰り返し述べられています)。書籍から精神分析は学べない、というのはよく聞く言説ですし、実際私もそのように思っています。
 たとえば「退行」という現象を知的に理解することと、ある種の設定の中で患者が退行に至るのを目の当たりにすることは明らかに異なりますし、そういう体験を経て、「こういうことだったのか」と知的な理解が腑に落ちることは精神分析理論を学ぶときには数限りなくあります。理論学習だけではなく体験的学習が重なる中で「自我を支えるとはこういうことか」「退行を抑止するとはこういうことか」ということが“徐々に経験的に”わかってくるのだと思います。※もちろんその「わかった」体験についてはその後も何度も修正されたり吟味されたりする必要があります

 このように書いてしまうと、結局精神分析の体験的な訓練を経ないとダメってことじゃないか、と言われてしまいそうですが、そうではありません。POSTの中にもスペクトラムがあるということです。

ここまでの要点
・POSTを学ぶとは、精神分析理論を学ぶこと
・理論学習をすることでPOSTは使用可能になる
・体験的な学びが深まることで、精神分析由来のPOST技法が使用できる可能性が高まる

上記のように私は考えています。そのため「POSTを学ぶためにはどうすればいいですか?」という質問をされた場合には「まず書籍を読み、セミナーに行き、座学で学ぶ」と答えるのが現段階でベターなのではないかと思います。その方の経済的、地理的なリソースによってはピアグループやケース検討会などの体験的な学びに触れることをお勧めするという感じでしょうか。

 まとめると、POSTのトレーニングとは、「精神分析理論を座学で学ぶこと」と「臨床的な手札(他アプローチの)を増やすこと(いくつかを深めるでも良い)」という二つの軸から形成されるものだと私は考えています。この二つを十分に学ぶことで、POSTは「使用できる」と思います。そしてさらに、精神分析における体験的な学びの要素が加えられるなら加えた方がもちろんいい、と思います。加えた方が精神分析由来のPOST技法を手札に少しずつ加えることができるということです。

 精神分析理論を学び始めの方や若い方にとっての指針・方針としては上記のような理解が現実的ではないかと思います。

 さらにPOSTの技法に関することで書きたいことがあったのですが、長くなりすぎたのでそれはまたの機会にしたいと思います。
 POSTは、中身を議論するために日々の実践を「とりあえず切り取った」概念なので、「とりあえず切り取った」ということ自体を批判的に見る動きはあるでしょう。しかし、そこだけに目を向けるのではなく、POSTなる実践の中身について議論が盛り上がればいいなと私自身は思っています。

2023年11月17日

ケース検討会、スーパービジョン体験について(専門家向け)

 だいぶ久しぶりのブログになってしまいました。

 今日は臨床心理士の専門家としての訓練について書いてみたいと思います。
 以下の内容は個人スーパービジョンやケース検討会グループについてです。ただし、基本的には臨床家として働き始めたばかりの方やスーパービジョンを受けた経験がない方向けの内容になっています。



 私たち臨床心理士は資格をとったあと、臨床の訓練を行います。
 現在、公認心理師という国家資格ができたことで、臨床心理士との比較や大学院教育のあり方など含めいろいろと心理臨床家の資格や学び、訓練について議論がなされているようです。一つ言えることは、どのような資格を取得しても、心理臨床を生業にしていく限り、訓練や学びは一生涯続いていくものだということではないでしょうか。


 臨床心理士の訓練については大きく分けて、
①セミナーや研修などの座学
②個人やグループでのスーパービジョン、ケース検討会
③臨床心理士自身が自ら心理療法を受ける体験
の3種類があります。

 臨床心理士の場合はいろいろなセミナー、研修に参加して、ポイントを集めて5年ごとに資格更新をする必要があります。こうした座学もとても大切ですが、それ以上に臨床家としての訓練において重要になるのは②、③のほうだと私は感じています。今回はその中でも②について書いてみたいと思います。


 「スーパービジョン」について精神分析辞典には、
 『精神療法の臨床教育の基本となっている教育方法で、スーパーバイザーとスーパーバイジーが、一対一で毎週規則的に、面接の設定を定めて継続的に訓練を受けていくやり方』と記載されています。
 より具体的には、
『スーパービジョンは、バイジーがセミナーやテキストで学んだことと、実際の経験とを結びつけるものであり、精神療法の研修に必須のものである』と記載されています。
※バイザー:スーパービジョンを提供する側
 バイジー:スーパービジョンを受ける側

 さらに実際的な部分についてです。
 スーパービジョンではバイジーが自らの実施したセッションの記録を持参し、その内容についてバイザー(バイジーよりも経験豊富な臨床家)から指導を受けます。一人のクライアントについて継続的に指導を受ける場合もあれば、毎回別のケースを提示する場合もあるでしょう。そのあたりはバイザーとの相談によって変わります。また、どのような記録を持参するかもバイザーによって異なります。記録をあえて使わない場合、逐語のような記録を使用する場合、治療者の面接中の考えや思いを重視して記載する場合などいろいろあるようです。

 また、「指導」と書きましたが、バイザーからバイジーへの一方向的なものではなく、そのセッションについてバイザーとバイジーで話し合う、議論する、対話するという形をとることが多いと思います。私自身のスーパービジョン体験もそのような雰囲気の強いものでした。私自身が当オフィスでスーパービジョンを提供する場合もこうした雰囲気が提供できるように意識しています。

 しかし、このスーパービジョン体験がどのようなものになるかは、バイザーによって大きく異なるでしょうし、またバイジーがどのように受け取るかによっても異なります。ある程度相性が影響することは否めません。

 そのため、どの臨床家にバイザーを依頼するかが必然的に重要になってきます。

 基本的には自分が受けたいと思うバイザーを書籍、学会の発表などから探しだし、直接依頼します。メールや電話(ときには手紙)などで連絡を取ることが一般的でしょう。もちろん誰かに紹介してもらうことも可能です。私自身も1人目のバイザーは当時働いていた職場の先輩心理士から紹介していただきました。
 
 最近話題の「精神分析の歩き方」という本でも書かれていますが、ベテラン・中堅の心理士に直接バイザーを依頼をして、酷い扱いを受けるということはほぼないのではないかと思います(もちろん様々な理由から断られるということは十分あり得ます)。

 連絡がつけば、あとは心理カウンセリング・心理療法の流れと同じになります。日程調整をし、初回面接でお会いします。初回面接はスーパービジョンの予備面接のようなものです。
 
 私の経験では予備面接で、①私自身の自己紹介や臨床歴、②どうしてその方に受けようと思ったのか、③どういった臨床現場でこれまで仕事をしてきたか、④これまでどのような訓練・研修の経験があるか、⑤このスーパービジョンでどのような事を求めているか(学びたいか)などを聞かれたように思います。

 予備面接を経て、特に問題がなければ契約をすることになります。

 問題が生じることはあまりないとは思いますが、バイジーが求めているものとバイザーが提供出来るものとの間にギャップが大きければ契約には至らないでしょう。例えばスクールカウンセリングに特化した指導を受けたいが、バイザーはスクールカウンセラーの経験に乏しく、引き受けるのが難しいと判断されるなどです。

 スーパービジョンの契約では、曜日、時間、料金、頻度などを決定します。隔週に1回や週に1回で行うことが多いのではないでしょうか。期間については、1年ごとの更新制や、最大2年間までなど、そのバイザーによっていろいろと特徴があるようです。期限がくれば自動的に終了になる場合や、更新が出来る場合など様々です。期限がない場合には、終わりにしたいとバイジーが考え始めたときにバイザーに率直にそのことを伝えるのが通常の流れでしょう。終結について話し合い、終結が確定すれば少し期間を開けて終結日を決めることになると思います。

 私自身は2人のバイザーを経験しており、現在まで合計で約8年間スーパービジョンを受けています。2週間に1回、1週間に1回、それぞれの頻度で経験があります。1回の料金は心理療法・カウンセリングと同様で50~60分で8000~12000円くらいです。

 1人目のスーパーバイザーは大学院を卒業して働き始めた初年度に受け始めました。先輩心理士に相談し、紹介して頂いた方です。個人開業をされている臨床心理士の方で精神分析的アプローチを専門にされている方でした。
 2人目のスーパーバイザーは、学会やセミナーに参加する中でこの方にスーパービジョンを受けたいと思い、自ら申し込んだ方になります。日本精神分析協会の精神分析家の方でした。開業オフィスで働かれていたので、そちらにスーパービジョン依頼の申し込みをしています。

 個人スーパービジョンは心理療法やカウンセリングを生業にしていく臨床家の方にとって非常に重要なものです。何はともあれまずは受けることが大切ではないかと思います。




 個人スーパービジョンのほかに、複数人での「ケース検討会グループ」に参加することもトレーニングになります。

 ケース検討会グループは講師が1名ないし2名おり、バイジーが4~5名から10名ほどで行うことが多いと思います。月に1回開催されるものが多く、大体1年間に1回自分の発表があるという感じです。こうしたケース検討会では複数人の参加者がおりますので、様々な臨床現場や臨床領域で行われている面接に触れることが出来ます。

 個人スーパービジョンと異なり、目の前で報告される他者のケースについてその場で考え、理解や意見を自ら生成し、それを自分の言葉にしてグループの場で発言する、という一連の体験プロセスが大きな学びになると私は考えています。私たちは心理療法の中でも同じようにクライアントの話を聞きながら、理解や介入を生成し、言語化して伝え、その反応をまた吟味し、という同じような体験プロセスの中にいるからです。

 そのためケース検討会は自由に意見が発信できる雰囲気であることが求められます。講師の意見をありがたく受け取る場ではもちろんないですし、ただ単になぐさめ励まし合う場や他者の意見を排除したり、批判したりし合うような場にならないことが大切です。
※当オフィスでも近々初心の臨床家向けのケース検討会グループを立ち上げる予定です。


 さらに、グループに継続参加することで横のつながりが出来ていき、共に学ぶ仲間や同志が生まれることも大きな財産になります。
 
 私自身はあるケース検討会に現在まで10年以上在籍しています。そこのメンバーは、お互いの臨床を支え合い、トレーニングしていく仲間としてとても大切な存在です。その他にも数年間継続参加したグループはいくつかあります。子ども・思春期のケース限定のグループ、初心者のアセスメントを中心に扱うグループ、構造化された精神分析的心理療法を扱うグループなどです。

 また、講師がいないグループもあります。同世代の臨床家で集まって行う研究会、勉強会などです。私自身はこのようなグループを臨床に従事し始めてからいくつか企画して継続して行ってきました。ケース検討会グループともまた異なり、よりざっくばらんに様々な悩みや苦しみを共有できる場として機能しているように思います。




 最後に、なぜそこまでスーパービジョンやケース検討会などのトレーニングが必要なのかについてですが、心理療法は「密室」でかつ「ふたりきり」という面接構造で行う営みです。こうした面接構造は、「搾取」「支配」「依存」「妄信」「性愛」といったある種病的な関係性を引き起こす可能性を“常に”孕んでいます。心理療法自体は、関係性を病んだり回復したり、巻き込まれ振り回されながら進んでいくものですが、ときに道に迷ったり病み過ぎてしまう危険がつきまといます。そして、治療者一人では気づけない状態になることもしばしばあります。
 こうした状態に気づいたり、そこから脱したりするためにスーパービジョンやケース検討会は役立ちます。
 



 臨床心理士の訓練について自分の体験も踏まえつつ書いてみました。

 SNSを見ていると、トレーニングの過程でハラスメントを受けた経験がある方が一定数いるようです。確かにスーパーバイザーやケース検討会グループと良い出会いに恵まれるかは本当に難しい問題です。
 こればかりはやはり自分の直観や感覚を大切にするしかないかなと思います。クライアントが心理士を選ぶ場合と同じですね。

 そのうち訓練・治療として心理士が個人セラピー(個人分析)を受けることについても書いてみたいと思います。

 
 



参考
精神分析の歩き方 (2021) 山崎孝明 金剛出版.
精神分析辞典 (2002) 小此木圭吾(編) 岩崎学術出版.

2022年08月24日

「初回面接を考える」勉強会を振り返って

 いつの間にか「初回面接を考える」勉強会を終えて5か月が経過してしまいました。オフィスの移転などもあり、バタバタとしていて更新が遅くなってしまいました。今更ではありますが、せっかく書いていたので2021年12月4日に開催した「初回面接を考える」勉強会について記しておきたいと思います。



 2021年12月4日にZOOM勉強会「初回面接を考える」を開催しました。13名の方に参加していただきました。
 馮先生からは、ご自身の臨床経験を振り返った上で、精神分析的心理療法に取り組むにあたっての初回面接とアセスメント面接についてお話がありました。特にどういった患者様に対して(精神分析的アプローチ用の)アセスメント面接を提供するかという問題ですね。精神分析的心理療法というものは、いくつかある心理支援の中の一つにすぎません。患者様のニーズや動機付けを見立てながらアセスメントを提供することの難しさについて語っていただきました。

 中田先生もご自身の臨床経験を振り返った上でのお話をしていただきました。特に初回面接+アセスメント面接における「型」の問題ですね。臨床の場に立ち始めた頃、どのような指導者の下で自らの心理療法のトレーニングを開始するかによってこの「型」に対するスタンスは大きく変わると思います。「型」にそこまでこだわらない先生や、始めは「型」に忠実に行うよう指導される先生など様々です。

 このようなお話をもとに参加者の皆様とディスカッションを行いました。その中で話題になったのはやはりどのような「職場」で臨床を行っているのか、という違いです。学生相談、総合病院、精神科クリニック、デイケア、当オフィスのような開業場面などなど…。それぞれの場所では心理士を雇う側やオーダーを出す側の思惑も異なりますし、いらっしゃる患者・クライアント様にも違いが生じます。
 出来るだけ1回の面接で何か意味あることをやってくれという職場もあれば、長期的な治療を念頭に置いている場もあり、また学生相談などでは当然学校適応が大きな問題になります。また、患者さんにとって自分(心理士)が始めに出会う人なのか、違うのかということも重要です。


 私たち心理士はこのような「場」における力動(心の動き)を見ていかねばなりません。

 例えば精神科クリニックで出会う場合などは、患者様は始めにクリニックの外観を見て、受付の事務員に会い、初診時に病院スタッフ(PSWや看護師など)に会い、主治医に会い、その後カウンセリングがオーダーされて私たち心理士が出会うことが多いと思います。その頃には患者様にはクリニックに対する様々な思いが形成されているでしょう(例えば居心地のいいクリニックだな、なんとなく殺伐としているな…、バタバタしているな…など)。
 また、心理士の方にも事前にインテーク情報、診察の情報、受付での対応情報など様々な情報が入ってきます(これらをあえて見ないで会う、という心理士もいるかもしれません)。

 上記のような出会い方は、何通かのメールのやりとりのみでいきなり1対1で出会う、当オフィスのような開業臨床とは大きく異なります。開業臨床では基本的にサイトには心理士のプロフィールが載っていますし、中には心理士自身の親子関係や子育て体験、心の悩みなどを書いている方もいらっしゃいます。医療機関で出会う心理士よりも患者様が事前に多くの情報を知ることができます。これが良いと感じる方もいれば、当然個人的な雰囲気が感じられ過ぎて拒否感が強まる方もいらっしゃるでしょう。

 当然ながらそれぞれメリット・デメリットが存在します。前者は「医療サービス」という枠組みの中で患者様を抱えるため、複数の人間が関わります。複数の人間の気持ちの動きが治療に影響しやすいともいえますが、その分抱える力は大きく、いろいろな事態に対応することが可能です。お会いできる患者さんの状態も様々だといえます。
 一方で当オフィスのような開業臨床は基本的には1対1の関係です(医療と併用される場合はその限りではありませんが)。関係性としては濃厚になりやすいところがあります。だからこそ対人関係や個人的問題に取り組みやすいとも考えられます。
 しかし、患者様を抱える機能としては医療サービスには遠く及ばないため(関わる人数や入院施設の有無など)に、医療機関よりは出会える患者様の幅に制限があると言わざるを得ません。


 初回面接から少し離れてしまいました。しかし、こうした臨床の「場」をどう理解するかが、その現場で患者さんと初めて出会うときの心理士のスタンスや振る舞い、やり方に大きく影響を与えます。
 初回面接が最も重要かつ難しいと考える臨床家の方も多くいらっしゃるのです。私自身もそう思います。初回が最も専門家として重要な場面でしょう。



 さて、兎にも角にもオンラインの恩恵を受け、様々な地域、現場の人と接触し(画面上ですが)、勉強会を開催することができました。
 参加された皆様ありがとうございました(5か月も経ってしまいましたが)。

 臨床を始めて4年目くらいの方から15年目くらいの方までが集まっていただきました。初めてお会いする方もけっこういらっしゃったのですが、活発な議論が出来て私もとても勉強になりました。また開催されるならばぜひ参加したいというお声もいただいたので、いずれ別テーマで企画できればいいなぁと考えております。


2022年05月20日

「初回面接を考える」勉強会について

 
 12月4日20時からオンラインで「初回面接を考える」という勉強会を開くことになりました。同業の友人が「初回面接について考えたい」と発言したことがきっかけになっています。

 今はZOOMなどオンラインの「場」があるので、企画すること自体は楽になったなと改めて思います。部屋を借りる必要もないですし、参加者の方の交通の便などを考慮する必要もないですからね。企画案さえあればすぐに「やりましょう」と動くことが可能になりました。これはこれで良いのかなと思います。ただ、個人的には対面で勉強会をしたい、という思いが拭えませんが…。


 さて、「いまさら初回面接について考えるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「初回面接」は心理臨床業務において最も重要な仕事の1つだといえます。
 
 初回面接でクライエントに『必ず聞くべき項目』のようなものはもちろん臨床を始めた当初から様々なところでレクチャーを受けます。しかし、こうした項目はさほど重要ではないように思います。というのも、働く場所によって必ず聞かなきゃいけないものや重要度の高い質問は変わってくるのが当然だからです(もちろん共通するものもありますが)。働く場所ごとに、その都度変えていくしかありません。

 私自身、臨床現場に出てから7~8年くらいはずっと初回面接+アセスメント面接(1~4回)が臨床を行う上での重要なテーマでした。もちろん今も大切なテーマですが、ただ数年前に比べると初回面接に対する気持ちのあり様は変化しているようにも感じます。


 初回面接でまず行うことは当然「主訴」の確認になるわけですが、その主訴が生まれた(またはオフィス来所に至る)「文脈」や「ストーリー」を理解できるかが重要なポイントになります。それはもちろんその時点での理解なので、後に修正されることもあるわけですが。

 以前は、力動的・精神分析的視点に基づいてこの文脈・ストーリーを理解することを特に重視していたように思います。

 しかし、今もっとも私が大切にしていることは、その「文脈」や「ストーリー」を構築していく作業をクライアントと共に行うことができるか、協働作業できるかという視点です。『主訴の背景にある文脈・ストーリーを協働作業で作れるか』ということはその文脈・ストーリー自体が正確かどうかや、クライアントに了解していただけるか以上に大切なことだと今は感じます。
 なぜならその協働作業自体が心理療法や心理カウンセリングそのものだともいえるからです。こうした心理療法・心理カウンセリングのプロセス・体験を、初回面接(+アセスメント面接)を通してクライアントに伝達することが、私にとっての初回面接の目的だといってもいいかもしれません。

 つまり、クライアントはそこで提供されるものが体験的に協働作業的なものであることを知ることになりますし、そうするとそれが自分自身の求めていたものかどうかについて考えることが出来ます。もちろん私たち心理士側も目の前のクライアントが共に協働作業をやっていける方か、それとも一方向的な指示や助言を求めている方か初回面接を通して知ることが出来ます。


 こうした初回面接に対する私の考えは、心理療法や初回面接の理論的な本には載っていることです。私自身も知的には知っていることでした。しかし、体験的に理解出来たのはここ数年のことなのだと思います。

 クライアントに「心理療法・心理カウンセリングは協働作業なのです」と伝えればいいのではないかという考えもあるでしょう。確かに実際伝えることもありますが、知識として知ることと、体験的に知ることは大きく異なります。

 クライアントと心理士が協働作業による理解を紡いでいくことが、心理療法や心理カウンセリングの特異な面だといえるのではないでしょうか。それは受動的に何かを学ぶこととは異なる体験です。


 初回面接だけで本当に何時間でも議論できそうな感じがしてきますね。改めて勉強会が楽しみになってきました。12月4日の勉強会ではどのような議論になるか楽しみです。


 勉強会では馮えりか先生(神楽坂カウンセリングルーム/芝浦工業大学)、中田香奈子先生(よりどころメンタルクリニック)に初回面接についての話題提供をしていただくことになっています。お二人とも10年以上の臨床歴を持つ臨床心理士の先生になります。

 講師がいるわけではないので参加費などは取らずに、知人や研究会で知り合った方などを中心に20名程度の参加者が集まればいいかなと思っています。おそらく力動的アプローチ、精神分析的アプローチを志向する方が参加者の大部分を占めるかと思いますが、その他のアプローチの方もお呼び出来たらいいなと考えています。

「初回面接を考える」勉強会 
12月4日(土) ZOOM開催 20:00~22:30 

2021年11月07日

心理カウンセリングはどう役立つか


 
 これまで10年以上臨床活動をいろいろな領域で行ってきて「カウンセリングって意味があるんですか?」と問われることが度々ありました。「ただ、うんうんって聴くだけなんでしょ?」なんて言われることもありました。確かに心理カウンセリングや心理療法という言葉はよく使われるようになりましたが、まだまだ中身や内容については浸透していないように思います。

 また、その中身について語る際に、一般化できないゆえの独特の難しさが語る側にとってもあるように思います。

 以前あるシンポジウムで臨床心理士と共に仕事をしてきた哲学系の専門家の方が「心理士は自分の仕事を語る言葉を持っていないように思う」という主旨の発言をしていたのですが、これは本当にその通りだと思います。

 実際「心理カウンセリング・心理療法とは何なのか、何の意味があるのか、どんな効果があるのかを患者さんや他職種にわかりやすく説明するにはどうすればいいか」という問題は私にとって常に考え続けるべき重要な問いだったように思います。

 これから心理士として現場に出る方にとってもこの問題はとても重要なものではないかと思います。自分が何をする専門家なのかをきちんと自分の言葉で周囲に説明し、理解してもらうことが大切なことは言うまでもありません。自分がやっている「セラピー」や「心理カウンセリング」「心理療法」を同業者以外の方に対して「説明できる」ということは非常に大切なスキルだといえるでしょう。

 今日はこれまで講義や勉強会で使った資料をもとに、心理カウンセリング・心理療法の意義や効果について書いてみたいと思います。教科書的、専門的な説明ではなく、実際的な説明になるように心掛けて書きたいと思います。

 心理カウンセリング・心理療法によって得られるものを私のこれまでの臨床経験や学びに基づいて示すならば以下のようになります。

1.発散・安心感・受容感
2.問題の整理
3.助言(別の視点の提供)
4.(知的な)理解・気づき
5.症状、問題行動の緩和、消失
6.(情緒的体験に基づいた)理解・気づき
7.悩み考えることの学習

上記は数字が大きくなるほどに時間がかかるとお考えいただいてよいかと思います。それぞれ少し詳しく見ていきます。


1.発散・安心感・受容感
 これは相談者様が辛いことや苦しいこと、誰にも話せないことを語り、「すっきりした」とか「聞いてもらえて安心した」、「受けとめてもらえた・理解された」といった体験を得ることです。実生活の中でも誰かに話を聞いてもらうことで体験することがあるかと思います。「話す」ことは「放す(離す)」ことであり、自分の心の重荷を相手に一部持ってもらい、負担が減るといった体験につながります。
 こういったことだけを求めて私たちのもとへ訪れる方はあまり多くはないかもしれません。しかし話の内容的に近しい人には話せないこともあるでしょうし、話せる相手がなかなか見つけられないときなどに、カウンセリングを利用される方はいらっしゃいます。特に近しい人に「自分の重荷を一部持ってもらう」ことに抵抗感・罪悪感が強い方はカウンセリングを利用されることが多いように思います。


2.問題の整理
 これは語られた内容について、臨床心理士と共に整理する作業です。生活している中で悩んでいるけど何が問題なのかわからないと感じることや、自分がどうしたいのかわからない、今どうした方がいいのかわからないと感じる体験は誰しもあるかと思います。また、突発的な出来事・事態に出くわして混乱してしまい、どうしていいかわからなくなることもあるかもしれません。そのようなときに、臨床心理士という他者を用いて、自分自身の混乱を明確にして整理する作業は役に立つと思います。こうしたことをご希望されて来室される方はいらっしゃいます。
 一時的な混乱状態を整理して落ち着けて大まかな方針を立てて終わる、という方は数回で終了することが多いです。


3.助言(別の視点の提供)
 これはその名の通り助言、アドバイスです。相談者様の相談内容について、臨床心理士から助言を行います。基本的には臨床心理学的な視点に基づいたものになります。この助言が「強制」や「正解」、「答え」ではなく、「別の視点の提供」であるということは重要な点でしょう。
 ご相談にいらっしゃる方の思考や見方、認知というものはある方向に少し偏ってしまっている場合があります。その偏りを緩和するのにアドバイスが役立つことがあります。ただし、これは少し偏っている程度のときには有効ですが、「ある見方に囚われている」「偏った見方のまま偏った安定を維持してしまっている」ときなどはあまり効果を感じない場合も多いでしょう。提示されたアドバイスは理解できるけど、そのようにできない!と思われる方も多くいらっしゃいます。そのような状態の場合は、少し長期的に無意識的な面に焦点を当てた面接をする場合もあります。


4. (知的な)理解・気づき
 これは相談者様のご相談の内容に関する、臨床心理学な理解の提供です。当オフィスの場合は特に精神分析的・力動的視点に基づいたものになります。ご相談内容が相談者様の中でどのような関連で生じているか、どういった背景に基づいていそうか、(その問題行動や偏りに)どういった意味があるのか、わかっているのに同じことを繰り返してしまうことの意味は何なのかなどに関する臨床心理学的な理解になります。
 こうした理解はもちろんこちらから提示するものもありますし、相談者様とのやり取りの中でご相談者様自身が自ら気づかれる場合もあります。そして、面接の中で理解が更新されていくことももちろんあります。


5. 症状、問題行動の緩和・消失
 面接の中で特定の症状についての緩和・消失が得られます。これはどういった症状かによってどれくらいの時間がかかるかが異なります。症状に直接働きかけるタイプのアプローチ(認知行動療法、行動療法など)を行うか、間接的に働きかけるタイプのもの(精神分析的心理療法など)を行うかなどで違いもあります。


6. (情緒的体験に基づいた)理解・気づき
 これはある程度長い時間をかけて面接を行う中で得られるものです。心理療法や心理カウンセリングを行っていくと、ご相談者様の苦しみや問題が臨床心理士と相談者様の治療関係の中に同じように見いだされることがあります。
 例えば「自分に自信がないから相手に合わせてしまう」と相談にいらした方がいるとします。その方は面接を継続する中で自信が持てるようになったと感じるようになりましたが、あるときふと、これは臨床心理士からの介入に表面的に合わせ「自信があるように合わせていた」だけではないか、と気づくことがあります。このケースが改善に至っていないことは明らかです。このように面接関係の中にもともとの問題が持ち込まれることはよくあります。持ち込まれると、相談者様の「自信のなさ」が面接室の「今、ここ」で取り扱いやすくなります。こうした情緒や体験のインパクトを用いることで、より実感を伴った自己や他者との接触、そして気づき・理解が生まれます。
 これは特に精神分析的・力動的な心理療法のやり方になります。面接に時間をかけますが、その分改善や変化が一時的なものでなく、長く続くというメリットが指摘されています。

7.悩み考えることの学習
 心理カウンセリング・心理療法は悩みを「消す」というよりも「よりよく悩めるようになる」ためのものだと私は考えています。臨床心理士と共に心理カウンセリング・心理療法を長期的に行うことで、次第にご相談者様自身の中で適切に悩み考えられるようになっていきます。
「悩み・考える機能」が育つ、身につくといった感覚です。




 心理カウンセリング・心理療法の意義や効果について7つ書いてみました。もちろんこのほかにもあるかと思います。また、語る方によっては表現がいろいろ異なるでしょう。
 
 これらは当然ながら、一つ一つが順番に提供されるわけでも、特定の1個だけが提供されるわけでもありません。常に同時並行的に面接の中で動いているものですし、そしてその中で4、5、6、7はある程度面接を継続的に重ねる中で得られるものだといえます。
 
 読んでいただいた方には、臨床心理士が「ただ聴くだけ」ではないということがなんとなくお分かりいただけたのではないかと思います。傾聴に加え、整理・助言・別の視点の提供・臨床心理学的な分析や理解の提示など様々な介入を行います。また、カウンセリングの中での「接触」や「体験」それ自体を取り上げながら感情や考えに触れていったりもします。

 こうした様々な介入を相談者様の状態や目的に合わせて行っていく心理カウンセリング・心理療法は当然のことながら、長期で行うほどに「個別化」していき、「オーダーメイド的な」サービスとなっていきます。ここにカウンセリングを一般化して説明することの難しさがあることはご理解いただけるのではないでしょうか。

 今はこういったカウンセリングについての説明が多くの心理オフィス、カウンセリングルームに書かれています。こうした内容を吟味しながらご自身がしっくりくる機関を選ぶことがカウンセリング機関を選ぶ際の一つの方針になるかと思います。
 ぜひご自身の感覚も大切にご相談先を選んでいただければと思います。

2021年07月09日

自らを偽り続けることによる苦しみ



 心理療法や心理カウンセリングの仕事をしていると「本当の自己」「偽りの自己」といった表現に出会うことがあります。こうした言葉は本質的なことに触れているようにも感じますが、占いや自己啓発への使い古された誘い文句のように感じる方もいらっしゃるでしょう。

 精神分析の世界ではウィニコットという小児科医でもある精神分析家が「本当の自己」「偽りの自己」という概念を提出しています。※1


 ウィニットは「偽りの自己」という概念を不健康な状態から健康な状態までの程度の差があるものとして捉えました。


 私たちは常に「本当の自己」で生活しているわけではなく、ある程度「偽りの自己」を機能させて生活しています。それは社交的な態度であったり、相手や場面に合わせて自らの振る舞いを変えたりすることです。一方、家で1人くつろぐ瞬間や恋人や家族と過ごす時間はより「本当の自己」に近い状態で居られる方が多いと思います。わかりやすくいうならば「素」に近くなるということです。



 しかし、自分の生活の多くの時間を「偽りの自己」で過ごさねばならない方もいます。例えば、家族と過ごす時間も過度に偽りの自分を形成しなければならないと感じられる方もいらっしゃるでしょう。恋人との関係こそ無理をして作っている、と感じる方もいるかもしれません。こうした方は自由であるとか、気楽に過ごすとか、くつろぐという体験がしにくくなります。「スイッチを常に入れておけねばならない」とか「常に演技している」という感覚が付きまとうこともあるでしょう。そして自分が本当はどう感じているのか?ということに疑問を抱く方もいらっしゃいます。


 また、生活のほぼ全ての時間が「偽りの自己」で覆われている方もいらっしゃいます。こうした方の場合、「スイッチを入れている」という感覚やイメージがそもそもなかったり、「演技をしている」とか「無理をして合わせている」という感覚を持ち合わせていなかったりすることが多くあります。ではそれは「偽りの自己」ではなく「本当の自己」といっていいのではないかと思われるかもしれません。しかし、このような無意識に無理をしている状態は、その方に何らかの歪みをもたらすことがあります。


 例えば、以下のような場合などです。
・不満やストレスの「自覚は全くない」にも関わらず、あるとき突然学校や会社に行けなくなってしまう方
・普段全く感じていないような他者への非難や不満を衝動的に吐きだしてしまい、そのような自分に戸惑われる方
・順調で全く問題ない社会生活を営んでいるのに、リストカットや過食嘔吐、抜毛、性的逸脱行動など、特定の行為をやめられないと感じている方
・客観的には成功していると認識され、自分でもそう認識できるのに、生きている実感が持てない、味がしない、楽しいとか悲しいとか感情的な実感が持てない方


 それぞれ出ている症状や問題が異なるので、たとえば精神科や心療内科にかかれば診断名は異なるでしょう。しかし、背景には「偽りの自己」の肥大化が問題となっている場合があります。
※もちろん上記に挙げたような問題が全て偽りの自己で説明できるわけではありません。


 「偽りの自己」は誰しもがある程度持っていることからもわかる通り、生きていく上で必要なものです。それが肥大化してしまう背
景には、何らかの個人的な事情がある場合も少なくありません。

 まず挙げられるのは虐待やネグレクトなどでしょう。そのほかにも、相手(親や家族など)に合わせねばならない状況にいた方、合わせることが無意識に求められていた方(ご本人は自覚がない場合)、ある種の強い教え(教育方針・宗教など)を周りの方から押し付けられていた方、自分が主張・要求すると相手が壊れてしまうのではないかと感じてきた方などがいらっしゃるかと思います。



 精神分析的心理療法はこのような「偽りの自己」による苦しみや問題に触れ得るアプローチです。それは端的に言えば「本当の自分に出会う」と表現されるものではありますが、楽しく美しい体験になるわけではありません。

 知らなかった自分の一部(情緒や考え)に出会う体験であり、それは痛みや苦しみ、拒否したい思いを伴うこともあります。しかし、これまでとは違った感覚や見方、体験をもたらしてくれる有意義なものでもあります。

※精神分析的心理療法にご興味のある方は予約申し込みの段階や初回面接の際にその旨お伝えください。初回面接やアセスメント面接の中で、導入するか一緒にご相談させていただきます。


※1 D,W,Winnicott(1960) 本当の、および偽りの自己という観点から見た自我の歪曲

2021年06月16日

他アプローチの方と短期力動療法について語り合う


 緊急事態宣言が発令されている中でのGWですね。皆様どのようにお過ごしでしょうか。私は昨日今日と2時間ばかりオンラインでのイベント?勉強会に参加していました。

 初台で個人開業されている岡本亜美先生(精神分析家候補生)が主催する短期力動療法のイベントです。岡本先生も翻訳に参加されている「短期力動療法入門」を用いて行われました。

 1日目は坂田昌嗣先生(京都CBTセンター/京都大学大学院)が「短期力動療法入門」を読んでみてのいろいろな感想や考えられたことなどをお話してくださいました。
 2日目は「短期力動療法入門」の監訳者の一人である妙木浩之先生(南青山心理相談室/東京国際大学/精神分析家)が短期力動療法について講義してくださいました。


 短期力動療法とは、簡単にいうと精神分析の理論や技法を出発点に治療の短期化を目指し、様々な工夫を取り入れている治療法を指します。様々な工夫とは例えば治療の焦点化、時間制限法、徹底した抵抗・防衛の解除、感情体験の促進、そのほか行動療法的手法の取り入れなどです。そのため、短期力動療法といっても様々な種類があり、研修会の中でも話題に出ましたが、精神分析(精神分析的心理療法)とはかなり異なるものです(共通点ももちろん多々ありますが)。


 正直なところ、短期力動療法は日本では流行っていないと言わざるを得ません。しかし、「出来るだけ早く治してほしい」というクライアントの要望は実際あるでしょう。そのため、短期力動療法というアプローチはこれからもっと注目されていっていいのではないかなと私自身は考えています。日本にはあまり訓練する場所がないという問題もあるのですが…。

 ちなみにですが、みなさんは心理療法の「短期」といった場合どれくらいの期間を考えられるでしょうか?一概には言えないのですが、書籍の中では「40時間」といった期間が出てきます。週1回50分のセッションで考えれば約1年といったところでしょうか。これを長いとみるか短いとみるかはその方の抱いている心の問題や悩みにもよるでしょう。



 ただ、今回はそれよりも他アプローチの専門家の方と学びあう研修会だったため、非常に刺激的な時間になりました。お気づきの方もいるかと思いますが、坂田先生は精神分析(的心理療法)や力動的心理療法の専門家ではなく、認知行動療法(CBT)の専門家の方です。CBTの専門家の方が「短期力動療法入門」を読み、精神分析家候補生である岡本先生と対談するというイベントでした。

 そして、このオンライン研修にはCBTセンターの先生方も数名参加され、またロジャーズ派の方や、看護師の方も参加されるなど専門性がかなり異なる方々が集まって行われました。臨床歴もかなりバラバラのようでしたし、臨床の場(職域も住んでいる地域も)も様々でした。こうした様々な方のお話が聞けるのはオンラインのありがたいところですね。


 お互いの専門性が異なると、臨床活動をしているという意味では同じなわけですが、実践の中での「当たり前」が異なり、「使う言葉」も異なり、「理解の枠組み」も異なることを改めて痛感させられます。そしてそれは自分が学んでいる治療技法にどのような特異性があるのかを改めて考えるきっかけにもなりました。


 こうした異なる専門家同士の勉強会は近年増えているように感じます。以前は認知行動療法と精神分析は仲が悪かったりしたのですが、今はあまりそういう雰囲気は薄くなっているのかもしれません。

 異なるアプローチの専門家同士が、お互いの治療法の特性やメリット・デメリット、どのような方に適しているのかなどを理解しあうことは、クライアントの方々の利益にもなるわけです。目の前のクライアントさんに認知行動療法が適していると思われるときには信頼できる認知行動療法のセラピストを紹介できた方がよいわけですからね。しかし現状そのように出来ている方は少ないのではないかと思います。今後の課題かなと思います。



 だらだらと書きつらねてしまいました。とにかく、また参加したいと思えるとても良い研修でした。今度は認知行動療法系の本を精神分析系の先生が読んで、対談するというのも良いかもしれませんね。
 短期力動療法の中身についてはブログで機会があれば書きたいと思います。

2021年05月02日

個人で開業すること―空間―

 池袋心理オフィスを開業して約5か月がたちました。

 昨年から続くコロナ禍…その影響を受け、私が当時臨床心理士として登録していた池袋カウンセリングセンターは閉室、移転(市ヶ谷カウンセリングセンターへ)という事態になりました。

 コロナの影響もあり致し方ないと感じる部分もありましたが、それでもかなり衝撃的な体験でした。カウンセリングや心理療法においては、「場」「空間」「時間」が守られていることは非常に重要なことです。それが一気に崩壊してしまう出来事でした。

 池袋カウンセリングセンターは市ヶ谷に移転したので、そこで勤務することは可能でした。しかし、私はいずれ池袋で個人開業をしようと考えていたこともあり、かなり悩みましたが、今回のタイミングでの開業を決断しました。

 個人で開業することの良さはもちろん、部屋の設え、立地、サービス内容、料金などを自分自身で自由に設定できるということです。なんでも自由になるわけではないですが、そこには私個人の経験や考えが反映されることになります。ソファを選び、棚を選び、カーテンを選び、トイレの備品を選び…こうした手作りの作業は大変さと共に充実感のあるものでした。
 一方で、個人的な趣味・嗜好をどの程度オフィス作りに反映させるか、ということは非常に難しい問題です。精神分析の創始者であるフロイトの時代から、このことは議論されてきました。そうした議論の中の一つの考えには、治療者はクライアントを映し出す鏡のようであるべきで、あまり個人的な部分を出すべきではないという考えがあります。こうした考えに基づくならば、オフィスは出来るだけ無味乾燥としていて、特定の趣向を感じさせない方がよいかもしれません。
 逆に栗原(2011)はカウンセラー自身の居心地の良さや部屋が「生きている」という感覚を重視し、「相談室に置く備品も、私の趣向に導かれたものを選んでいる」と書いています。こうした考えも非常に重要だと思われます。

 私自身は比較的栗原の考えに近い感覚を持っています。あまりにも個人的な主張が強い部屋はどうかとは思いますが、「私のオフィスにクライアントさんを迎える」という感覚を大切にしたいと考えているからです。

 私のオフィスに対する印象はクライアントさんごとにもちろんかなり異なるでしょう。部屋の印象など全く頓着しないクライアントさんもいらっしゃいますし、部屋のインテリアや細部にある備品から私に対する印象を構成される方もいます。こういったこともカウンセリングを継続していく中では大きな意味を持つことがあります。
 
 以前の職場では、カウンセリングに通い始めて2年ほど経って、初めて目の前のテーブルに花が活けてあることに気づいたクライアントさんもいらっしゃいました。
 些細なことのようですが、通い始めの頃は全く意識にものぼらなかった“モノ”が、全く別の印象をもって視界に入ってくるということが私たちの生活の中ではあると思います。

 こうした空間を作っていくことも含めて、個人開業とはとてもやりがいのあるものだなと感じています。
 空間つくりに加えて、ブログにどんなことを書くのか、ということもカウンセラーの趣味や趣向が現れます。これもなかなか難しいものです。このことについてはまたいずれ書いてみたいと思います。

栗原和彦(2011) 心理臨床家の個人開業 遠見書房


2021年02月06日

カウンセリングの中で生じる「安心」の効果と弊害

 カウンセリングには “安心する”という情緒体験がクライアント様に生じることがあります。今日はこの“安心”ということについて書いてみたいと思います。特に強調したいのは、“安心がもたらす効果”と“安心がもたらす弊害”についてです。

―安心がもたらす効果―
 辞書的に言うと、“安心する”とは心配がなくなることや、その状態が続くという意味が含まれています。
 自分自身の悩みや困りごとを語る際には、それが相手に理解されるか、受けとってもらえるか、といった“心配ごと”が生まれます。そのため、自分の相談をきちんと聞いてもらえることで心配ごとが消えて、安心するということがカウンセリングではまず基本にあるでしょう。
 加えて、ご相談にいらっしゃる方の中には、自分が悪いのだろうか?親が悪いんじゃないのか?上司のせいではないか?どこに相談すればいいのか?自分は発達障害ではないか?などなど、様々な疑問や悩みなどの“心配ごと”を抱えていらっしゃることが多くあります。
 こういった“心配ごと”に対して、「あなたが悪いわけではありません」「それは親の責任です」「上司に責任があります」「発達障害です/ではないです」などの「答え」がカウンセラーから提示されると、この心配事は一時的に解消されて“安心”がもたらされるかもしれません。

 ここでの“安心がもたらす効果”は、端的に言うならば「そのことについて考えなくてよくなる」ということです。つまり、自分が悪いかどうかで悩んでいる人が「あなたは悪くない」と言われることで、悶々とそのことについて考えなくてよくなる、ということです(多く場合が一時的な効果になると思いますが)。

―安心がもたらす弊害―
 しかし、ご相談者様がご自身の個人的な悩みや問題について解決したいと思うときには、この“安心”は弊害となってきます。
 なぜなら安心してしまうと、「考えること」から遠ざかってしまうからです。効果と弊害は表裏一体になっています。

 よくカウンセラーに対する批判の1つとして、「質問しても答えてくれない」ということが挙げられます。ここには質問に答えることで安易に「安心」を与え、問題について考えなくなってしまうことを回避しようとするカウンセラー側の意図が含まれている場合があるでしょう。同時に、カウンセラーによる「答え」は、一時的な効果しかないことを多くの専門家は知っています。


当オフィスでは「精神分析的心理療法」と「心理カウンセリング」を提供していますが、前者においては、「答え」や「解答」のような一時的な安心感を提供することは基本的にありません。それは精神分析的心理療法が目指す自己理解や改善には弊害となるからです。
一方で心理カウンセリングの場合は「答え」や「解答」のようなもの、つまりは具体的なアドバイスや助言をすることはあります。

 
 少しわかりやすく例を挙げてみたいと思います。
 会社の上司とのトラブルで抑うつ状態になり会社を休みがちになってしまった方がカウンセリングにいらっしゃいました。精神科にいくほどなのかわからない、こんなことで会社を休んで自分はダメ人間だと思ってしまう、抑うつ気分が強く今後どうしていいかわからない、といったご相談です。
 抑うつ状態が高まったときには正常な判断が出来なくなったり、睡眠がとれなくて十分は思考ができなくなったりといったことがあります。まずはご相談を聞きつつ、「方針」「助言」を行うことが多くなります。それはご本人の状態に応じて精神科・心療内科受診の促しや休職の検討や自宅での休み方などの話になるかもしれません。こうした話し合いは「どうしていいかわからない」という不安に一時的な「安心」を与える部分があるでしょう。
 一方で、数週間ないし数か月経って状態が落ち着いてきた際に、「そういえば目上の人間とトラブルになることを繰り返している」、「トラブルになると常に自責的に考えてしまう」といったご本人の性格的な特徴や繰り返されている問題が明らかになってきました。
 このような場合、ご相談者様がそういった繰り返されている問題、自分自身の問題について何らかの変化を求める場合には、精神分析的心理療法をお勧めすることがあります。こうしたより内面的な問題について取り組む場合には、当然わかりやすい「答え」や「解答」のようなものは存在しません。自分自身の「わからない」部分に向き合っていく作業になるからです。
 ただし、精神分析的心理療法の中では、これまで誰にも語ることのなかった自分自身について語ったり、感じたり、知ったりという体験が起こり得ます。その体験自体が安心感をもたらすということは十分ありえます。それは「答え」のような安心感とはまた異なるものだと思います。
 

 カウンセリングの中での「安心」について書いてみました。やはり「体験」について書く、ということは難しいですね。
 少しでもご相談を検討されている方のお役に立つ内容になっていれば幸いです。

2021年01月08日

「発達障害かもしれない」という不安

<はじめに>

 「発達障害かどうか診断してほしい」という大人の方の相談が最近精神科や心療内科に多く寄せられているようです。「大人の発達障害」という言葉もよく見かけるようになりました。そして、私もこれまでの臨床経験の中で相当数こういった相談を受けてきました。そのため、今日は「発達障害かもしれない」という大人の方の相談について私の体験をもとに書いてみたいと思います。
 ※このブログの中で使用する「発達障害」という言葉は、「自閉スペクトラム症」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」をまとめた言葉として使用しています。「アスペルガー症候群」、「広汎性発達障害」、「高機能自閉症」といった言葉も「自閉スペクトラム症」に含まれているとお考えください。

 発達障害が具体的にどのような定義・概念であるか、その歴史的変遷などはここでは詳述しません。
ただし重要な点として押さえておきたいのは、「診断が難しい」ということと、「原因がはっきりしていない」ということでしょう。

※発達障害という概念のわかりにくさ、診断の難しさについては「こどものための精神医学」という滝川一廣先生の本が非常にわかりやすいです。

<発達障害かどうか>
 「発達障害ではないか」「発達障害かもしれない」という不安を抱え、相談・受診に訪れる方の多くは「対人関係の問題」と「不注意の問題」を訴えることが多いように感じられます。
 対人関係の問題としてよく訴えられる主訴には、職場でうまくいかない、友人関係が続かない、親子・夫婦関係の問題、(職場、学校で)いじめられやすいなどが挙げられます。そしてその結果、転職を繰り返している、ひきこもっている、孤立しているといった状態になっていることがあるようです。
 不注意の問題には、忘れ物が多い、物をなくす、遅刻が多い、同時に2つの事が出来ない、整理整頓出来ない、仕事の段取りがうまく立てられないなどが挙げられます。そしてその結果、上司に怒られる、日常生活がうまく回らない、進級が危ういなどといった状態になっていることがあるようです。
 
 ちなみにこういった困り感の報告だけでは発達障害かどうかはわかりません。こういった症状がいつからか、どの程度か、どのような状況で問題が起こるのか、他の困り感はあるかなど詳細に聴いたり、心理検査を行ったり、他の疾患を除外したり、親御さんからお話を聞いたりして精査し、最終的に主治医が診断を行います。

上記のような精査をした結果、
A:診察をした主治医も検査をした心理士も発達障害であろうと合意できる場合
B:発達障害かどうかについて両者の見解に違いが生じる場合(最終的な判断は当然主治医になりますが)
C:心理士も主治医も発達障害ではないだろうと判断する場合
の3つのパターンに至ることが私の場合多くありました。

AとBのパターンについては発達障害の傾向がある程度認められるだろうということで、福祉サービスの利用や服薬、診断書の発行、職場や学校での調整(合理的配慮)、生活上の工夫の相談、心理教育などが、ご相談者様の意向を踏まえながら検討されます。
※発達障害かどうかだけわかればいい、とその後の支援や診察を一切求めない方も多くいます。

 難しいのは3つ目のパターンです。発達障害ではないだろうと思われる方々です。発達障害ではないかもしれませんが、その方々が対人関係の問題や不注意の問題で苦しんでいるということが否定されるわけではありません。
 つまり、それらの問題は発達障害以外の他の要因によって生じている可能性があるということです。

<発達障害以外の問題>
 では発達障害以外にどのような問題が背景にあるのでしょうか?大まかにいうと、他の疾患・障害である可能性や、心理社会的な要因が背景にある可能性などが考えられます。対人関係がこじれる原因や仕事や生活上のミスや忘れ物が増える要因は当然ながらいろいろあります。

 1つ具体的な例を挙げながら考えてみたいと思います。ここではより個人的な考えや性格が影響している場合について取り上げました。

【不注意なミスに困って来院したAさん】
 営業職に従事するAさんはダブルブッキング、忘れ物、遅刻が多く困っており、ADHDではないかと上司に指摘され、来院されました。Aさんはこういったミスをしてしまう自分を過度に卑下し、落ち込まれていました。思春期以降くらいからこういったことに悩まれているようでした。
 Aさんのお話を聞いていくと、業務量があまりに多く、休みなしで働かれているようでした。しかし周りの同僚はAさんほどの状況ではないようです。Aさんは睡眠や生活習慣も不規則で、このような状態ではミスも生じてしまうだろうと思わずにはいられない状況でした。しかし、特徴的なのはAさんが「これは社会人としては当たり前の量で自分はまだまだ足りない」と繰り返していたことです。
 このようなあまりにストレスフルな仕事状況が最終的にはスケジュール管理、物の管理のミスとしてAさんの場合生じていたようです。そしてAさんは、自身がこのような状況に苦しんでいるにもかかわらず、この働き方をなかなか変えたくないとも思っているようでした。
 面接の中で、このような働き方の背景にはAさん自身の自覚していなかった「無意識的な不安」があることがわかってきました。それは言葉にするならば、「誰かの役に立っていないと自分は存在していないのも同然だ」というものです。こういった「無意識的な不安」を緩和するためにAさんはがむしゃらに働いていたようです。
 
 Aさんの場合、心理面接を継続していく中で、こういったAさん自身の不安が緩和されていき、それに伴って不注意症状は大幅に改善されました。そもそもの働き方自体が変化したためです。

 これはもちろん私が経験したことをアレンジして書いた創作のケースです。そして、具体的な治療プロセスを省略して結論だけ書いております。実際には「無意識的な不安に気づくまで」、「Aさん自身の不安が緩和されていくまで」にはある程度の時間がかかっています。

 このケースのように、不注意の背景に相談者様の性格・価値観・考え方の特徴が見られ、そのことが知らず知らずのうちに生活に歪みを生じさせているということは実際あります。
 不注意ではなく、対人関係の問題を理由に発達障害では?と来院される方の中にはなおさら、対人関係を滞らせるようなご本人が自覚していない感情や考えが背景にあり、問題を呈してしまっている方がいらっしゃいます。それは例えば、自信のなさ、自己嫌悪、承認欲求、嫉妬心や羨望、怒りや攻撃性、親しみや愛情、猜疑心や信頼感などにまつわるものだったりします。

 このように個人的な問題に原因があるかのように書くと、まるでその方の「性格が悪い」と言っているように読めてしまうかもしれません。当然重要なのは良い/悪いの「評価」ではなく、何が起きているのかという「理解」になります。
 そして最も大切なことは、何らかの感情・考え、性格的な偏りは、その方が生きるためにはある時期必要だったということが往々にしてあるということです。だからこそ、変えたくても変えられなかったり、わかっていても変化しにくかったりするのが人の生き方や性格なのだと思います。

<最後に>
 アダルトチルドレン、発達障害、HSPなど様々な心の苦しみや人間関係の苦しみを表す言葉はときに「流行り」ます。こういった言葉を知ることをきっかけに多くの人が自分について考え、カウンセリングオフィスや相談機関を利用しやすくなるとしたら、それは良いことかもしれません。しかし、「流行る」ことは良い影響だけを生むわけではないので、注意が必要です。
 「発達障害か否か」だけではなく、その苦しみの背景にも目を向ける必要が私たちにはあるのだと思います。

 

 

 


2020年11月28日

カウンセリングの中に出てくる夢の取り扱い

 「夢分析」という言葉を皆様も聞いたことがあるかもしれません。

 イルカは幸運の象徴、父親は権威の象徴、櫛は恋愛エネルギーを暗示しているなどなど…。少し調べるとインターネットにもこのような解説が載っていて、これを見るだけでも楽しめそうです。

 私たち心理士もカウンセリング・心理療法の中で「夢」について扱うことがあります。このように書くとややスピリチュアルな印象を受ける方もいるかもしれませんが、決して夢に出てきた「人」や「物」、「出来事」をそのまま何らかの解釈に当てはめるようなことをするわけではありません。

 精神分析を創始したフロイトは夢について「無意識への王道」であると言いました。その方の無意識的な世界を知るときに夢は非常に豊かな素材を私たちに提供してくれます。

 私は夢分析そのものの専門家ではありませんが、人の「無意識」について理解するための非常に重要な素材として夢を捉えています。心理面接の中で夢の話題が出てきたときに、どのような夢であるかを詳しく聞かせてもらうことがあります。しかし、夢に出てくる素材だけではなく、その他にもいろいろなことに注目します。
 その夢の話がカウンセリングの場で話された文脈であったり、その夢からその方がどのようなことを連想されるかであったりなどです。

 夢は非常に摩訶不思議なものであり、かつ興味深いものです。あるときには現実的な自分の生活がそのまま出てくるような「夢らしくない夢」を見たり、あるときには全く夢を見なくなってしまったり、見たことは覚えているけど思い出せない夢があったり、逆に小さい頃から忘れられない夢もあります。そしてトラウマティックな体験をした方がその場面を繰り返し夢に見てしまうなど、辛い体験にも関連しています。

 大切なことは「夢」を使ってご相談者様の心の状態について共に考えることだと思います。当然ながら正解というものはありません。しかし、だからこそ夢は面白いのだと思います。

2020年11月09日

面接の頻度について

 カウンセリングを継続して行っていく場合に重要なこととして、「面接の頻度」が挙げられます。カウンセリングにはどれくらいの頻度で通えばいいのか、ということは多くの方が疑問を持たれることかと思います。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

 「精神分析」を創始したフロイトは当初週6回の頻度で面接を行っていました。現在は週4回以上が精神分析の国際基準となっています。日本精神分析協会の精神分析家が提供する精神分析はこうした頻度のものになります。かなり多いように感じるかと思いますが、その分、深く濃密な時間を持つことができます。

 当オフィスで提供している精神分析的心理療法は週1回50分が基準となります。
一般的な心理カウンセリングについては「週に1回」、「隔週に1回」、「月に1回」、「必要に応じて」の主に4パターンがあると思います。これらの頻度をどのように使い分けるかはその心理士の考え方にもよりますし、働いている場にもよるでしょう。

 面接頻度は主にクライアント様がどういった目的でカウンセリングを利用されるかによって決まってきます。対人関係やご自身の性格、過去からずっと苦しんでいる問題など、長期的かつ内面的な問題である場合には「週に1回」の頻度をこちらから提案することが多くなるかと思います。これは頻度が増えるほどに社会的・公的ではない、より個人的で無意識的なことに向き合いやすくなると考えるからです。
 一方で焦点化・限定化されたご相談であれば、「隔週に1回」の頻度で行うことを提案することもあるでしょう。

 「月に1回」や「必要に応じて」という頻度については、基本的にはカウンセリングが終結に至ったあとや、相談事がある程度改善に向かったあとのフォローアップや経過観察的な面接を行う場合に用いることが多いと思われます。
 カウンセリング開始時から月1回という頻度で行うことは非常に難しいと私自身は感じています。相当に問題が限局化されている場合や、ある程度ご自身で対応しているが、専門家から少し異なる視点の意見も欲しいという場合など、いろいろな条件が整った場合には可能かもしれません。

 

 現在は、カウンセリングの形も多様化しています。重要なことはどういった機関でカウンセリングを受けるにしても、カウンセラーと頻度やアプローチについて十分に話し合うことだと思います。


2020年10月28日

どんな人がカウンセリングを受けに来るのか?という問い

 

 カウンセリングを申し込まれる方にはいろいろな方がいらっしゃいます。よく「どのような人がカウンセリンを受けるのか?」「私が受けてもいいのか?」などの質問をお受けすることがあります。

 今回は上記の質問に対する回答を少し書いてみたいと思います。カウンセリングを検討される方の参考になれば幸いです。


 カウンセリングには様々な方がいらっしゃいます。大まかに以下の3つパターンに分けられるのではないでしょうか。

①自分の性格・対人関係・働き方・生き方などに悩まれている方
②精神科・心療内科的な症状で困られている方
③対人援助職の方

 ①の方は医療機関などにはかかっておらず、お仕事をされていたり、学生の方であったり様々です。仕事やプライベートの対人関係における困り感やうまくいかなさ、自分の性格など何らかの悩みや困り感を抱えている方が多いです。その内容も具体的悩みから、かなり漠然としたものまで様々です。


 ②の方はうつ病、発達障害、適応障害、不安障害、身体表現性障害、心身症、パーソナリティ障害など何らかの精神科的な障害・疾患を抱えている方です。そして、その中でも薬物療法でなかなか改善が得られないと感じている方や、主治医に勧められていらっしゃる方、薬だけでは変わらないのではないかとご自身で感じられてカウンセリングを選ばれる方などがいらっしゃいます。こうした方々との面接は服薬治療と並行して行われることが多いです。

 ③は主に対人援助職の方です。精神保健福祉士、教師、児童養護施設職員、看護師、介護職、心理職など様々です。こうした職種の方は、自分自身について考える機会が多く、自分自身を理解することが職務上のパフォーマンスに影響を与えることが多くあります。
 また、対人援助職の方のカウンセリングではなく、その方が援助する対象(患者・クライアント、児童・生徒など)の方についてのコンサルテーションを行うこともあります。コンサルテーションとは、異なる専門家同士で、援助対象についての理解やよりよい援助の在り方を話し合っていくプロセスのことです。

 カウンセリングにいらっしゃる方を3つのパターンに分けて説明してみました。もちろんこの3つに該当する/該当しないを気にされる必要はありません。
 最後に元も子もないことを書きますが、カウンセリングは基本的にどのような方でも受けて良いものですし、ご自身が受けたいと思ったときに受けるのが良いと思います。

2020年10月10日
» 続きを読む