自らを偽ることの苦しみ:偽りの自己
自らを偽ることの苦しみ:偽りの自己
(偽りの自己、本当の自己、ウィニコット、精神分析、本音と建前)
心理療法や心理カウンセリングの仕事をしていると「本当の自己」「偽りの自己」といった表現に出会うことがあります。こうした言葉は本質的なことに触れているとも感じますし、占いや自己啓発への使い古された誘い文句のように感じる人もいるかもしれません。
精神分析の世界では、小児科医でもあるイギリスの精神分析家ウィニコットが「本当の自己」「偽りの自己」という概念を提出しています。※1
ウィニットは「偽りの自己」という概念を不健康な状態から健康的な状態までの程度の差があるものとして捉えました。
私たちは常に本当の自己で生活しているわけではなく、ある程度偽りの自己を機能させて生活しています。それは社交的な態度であったり、相手や場面に合わせて自らの振る舞いを変えたりすることです。一方、家で1人くつろぐ瞬間や恋人や家族と過ごす時間はより本当の自己に近い状態で居られる方が多いかと思います。わかりやすく言うならば「素」に近くなるということですね。
しかし、こうした偽りの自己の機能を自身の生活のかなり多くの時間で使用しなければならない方もいます。例えば、家族と過ごす時間も過度に偽りの自分を形成しなければならないと感じられる方もいらっしゃるでしょう。恋人との関係こそ無理をして作っている、と感じる方もいるかもしれません。こうした方は自由であるとか、気楽に過ごすとか、くつろぐという体験がしにくいと考えられます。「スイッチを常に入れておけねばならない」とか、「常に演技している」という感覚が付きまとうこともあるでしょう。そして自分が本当はどう感じているのか?ということがわからなくなるという感覚に苛まれたりします。
また、上記のような方以上に生活のほぼ全ての領域が偽りの自己で覆われている方もいらっしゃいます。こういった方の場合、「スイッチを入れている」という感覚やイメージがそもそもなかったり、「演技をしている」とか「無理をして合わせている」という感覚も持ち合わせていなかったりすることが多くあります。
では、それは「偽り」ではなく「本当の自己」といっていいのではないかと思われるかもしれません。しかし、無意識にこうした生活を続けている方の中には、唐突に症状や問題行動が生じたり、一見関係ないと思われるような行動や癖を生活の中で抱えたりしている場合があります。
例えば、以下のような場合などです。
・不満やストレスの自覚は全くないにも関わらず、あるとき突然学校や会社に行けなくなってしまう方
・普段全く感じないような他者への非難や不満を衝動的に吐きだしてしまい、そのような自分に戸惑われる方
・順調で全く問題ない社会生活を営んでいるのに、リストカットや過食嘔吐、抜毛、性的逸脱行動など、特定の行為をやめられないと感じている方
・客観的には成功していると認識され、自分でもそう認識できるのに、生きている実感が持てない、味がしない、楽しいとか悲しいとか感情的な実感が持てない方
このような例はそれぞれ出ている症状や問題が異なるので、精神科や心療内科に行かれた場合、診断名は異なるでしょう。しかし、背景には「偽りの自己」の肥大化が問題となっている場合が多くあります(もちろん上記に挙げたような問題が全て偽りの自己で説明できるわけではありませんが)。
偽りの自己は誰しもがある程度持っていることからもわかる通り、生きていく上で必要なものです。それが肥大化してしまう背景には、何らかの個人的な事情がある場合も少なくありません。まず挙げられるのは、幼少期・学童期に虐待やネグレクトの環境で生きてこられた方です。そのほかにも、相手(親や家族など)に合わせねばならない状況にいた方、合わせることが無意識に求められていた方(ご本人は自覚がない場合)、ある種の強い教えを保護者の方から押し付けられていた方、自分が主張・要求すると相手(養育者)が壊れてしまうのではないかと感じる状況にいた方などがいらっしゃるかと思います。
精神分析的心理療法では、このような『偽りの自己』の問題を抱えた方も対象にしています。それは「本当の自分に出会う」ことを目指す営みになりますが、楽しい体験になるわけではありません。知らなかった自分の一部(情緒や考え)に出会う体験であり、それは痛みや苦しみを伴うこともあります。
しかし、これまでとは違った実感や見方、体験を自分にもたらしてくれると思います。
精神分析的心理療法にご興味のある方は予約申し込みの段階や初回面接の際にその旨お伝えください。アセスメント面接を経て、導入するか一緒にご相談させていただくことになります。
※1 D,W,Winnicott(1960) 本当の、および偽りの自己という観点から見た自我の歪曲