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カウンセリングとは何か?

 

 カウンセリングとは何なのか?ただ話を聴いてもらうのとは何が違うのか?

 こうした問いを持たれる方は多いのではないかと思います。私自身、これまでの臨床経験の中でご相談者様からだけではなく、医師、教師、ケースワーカー、看護師、保育士などの他職種の方から幾度となく質問を受けてきました。


 カウンセリングとは「精神分析的心理療法と心理カウンセリング」のページでも書いてある通り、お話をじっくり聴きつつ、専門的な理論や知識を背景にアドバイス、提案、助言、心理教育などを行い、問題解決に向けて取り組むことです。


 自分の困り感、悩み、苦しみについて語ること、聴いてもらうことで安心感が得られたり、自ら語ることで見えてくるものがあるかもしれません。また、私たちが専門的な視点から「問うこと」や「理解を伝えること」でご自身だけで考えているよりもより広く、深くその悩みについて理解でき、自己理解が深まるかもしれません。そして、行動・考え方の変化についてじっくりと話し合っていくこともできます。

 

 このように「適切に悩み考えること」をカウンセリングの中では行っていきます。

2020年09月21日

精神分析的心理療法について

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 今回はカウンセリングではなく、私がオフィスで提供している精神分析心理療法について書きたいと思います。
 このアプローチはカウンセリングとは異なります。

 精神分析的心理療法は非常に独特なものです。2人の人間(クライアントとカウンセラー)が出会い、ある程度の期間会い続け、接触を持ち続け、関わり合う中で、クライアントの変化を求めていくものになります。
 もう少し具体的に述べてみます。

 精神分析的心理療法では、クライアントとカウンセラーが一定の枠組みの中で会い続け、その中でクライアントにはその方のご相談内容に関連して自由に連想することが求められます。そして、カウンセラーによる言語的な介入(解釈)を通じて、クライアントは自分自身の意識してこなかった自己部分を知り、自分の生きづらさ・症状の意味などについて理解していきます。こうしたプロセスをある程度長い時間をかけて行っていく中で、クライアントの慢性的な生きづらさや、人生を通しての問題、性格的な苦しみ、対人関係における悩みなどの改善・緩和を目指していきます。
 平井(2017)は精神分析的心理療法について「内省活動を学ぶ関係」であると指摘し、それゆえに「ある考え」を受け身的に学ぶことよりも時間がかかると指摘しています。
 「分析」「知る」「学ぶ」「内省」といった言葉を使用しているので、非常に「知的」なもののように見えてしまいますが、実際はとても「情緒的」な体験です。そして体験的なプロセスを重視しています。
 また、面接を開始してからどのような展開を辿るかは当然ながら個別に異なります。直線的にステップ1、ステップ2と進むわけではないため、開始後の展開を説明することは不可能だと言わざるを得ません。この点が心理療法の説明を難しくしているわけですが、治療プロセスが個人個人で異なることはご理解いただけるかと思われます。



「一定の枠組み」について
 精神分析的心理療法は、同じ曜日の同じ時間から週1回(または2回、3回)と、設定を決めて行います。現実的な外的条件(場所、時間、頻度)を一定にすることで、より無意識的な心の状態を見やすくします。
 ※椅子やソファではなく、寝椅子に横になっていただき、カウンセラーはクライアントから見えない位置に座る、という設定を用いる場合(精神分析の基本的な形)もあります

「自由に連想すること」について
 一定の枠組みの中でクライアントに求められることは、自由連想です。これは面接の場に来て、席に座ったら、クライアントは思いつくことを出来るだけそのまま語っていただきます。自由に語るということは実際には難しく、ここでの体験や反応はかなりの個人差があると思われます。
 その連想を聴きながらカウンセラーは言語的な介入を行います。カウンセリングと大きく異なるところは、それは対話や具体的な相談ではないという点です。クライアントはそこで思いつくことを自由に連想していき、その場にいるカウンセラーは時折何らかの理解や考えなどを提供します。

「情緒的な体験である」
 椅子に座り50分間思い浮かぶことを自由に話し、カウンセラーは必ずしも対話的に接する訳ではありません。この状態がいかに日常的な対話や相談と異なるかは想像していただければお分かりになるかと思います。当然クライアントは様々な情緒体験をします。同時にカウンセラー側も同様です。こうした環境で、社会的でも公的でもない自分自身の思いや考えに触れることを目指します。



 ただ、このアプローチは時間とお金がある程度かかるものです。そして、プロセスの中では辛さや不安を伴う瞬間がありますし、自分のことを知ることに対する痛みを実感することもあるでしょう。しかし、慢性的な心の問題に苦しむ方にとっては非常に実感を伴った有意義な時間になると考えられます。

 精神分析的心理療法は、慢性的な苦しみや生きづらさ、とらわれなど長く苦しまれている問題をお持ちの方や、性格・人格・対人関係の問題を繰り返されている方、対人援助職や芸術関係の仕事をされている方のお役に立てると思います。

 ご関心のある方は一度ご相談いただければと思います。疑問点等について話し合った上でご検討いただければ幸いです。




平井正三(2017):週1回精神分析的サイコセラピー ―その特徴と限界―.北山修・高野晶(編)(2017) 週1回サイコセラピー序説 ―精神分析からの贈り物― 創元社,大阪.

2020年09月28日

どんな人がカウンセリングを受けに来るのか?という問い

 

 カウンセリングを申し込まれる方にはいろいろな方がいらっしゃいます。よく「どのような人がカウンセリンを受けるのか?」「私が受けてもいいのか?」などの質問をお受けすることがあります。

 今回は上記の質問に対する回答を少し書いてみたいと思います。カウンセリングを検討される方の参考になれば幸いです。


 カウンセリングには様々な方がいらっしゃいます。大まかに以下の3つパターンに分けられるのではないでしょうか。

①自分の性格・対人関係・働き方・生き方などに悩まれている方
②精神科・心療内科的な症状で困られている方
③対人援助職の方

 ①の方は医療機関などにはかかっておらず、お仕事をされていたり、学生の方であったり様々です。仕事やプライベートの対人関係における困り感やうまくいかなさ、自分の性格など何らかの悩みや困り感を抱えている方が多いです。その内容も具体的悩みから、かなり漠然としたものまで様々です。


 ②の方はうつ病、発達障害、適応障害、不安障害、身体表現性障害、心身症、パーソナリティ障害など何らかの精神科的な障害・疾患を抱えている方です。そして、その中でも薬物療法でなかなか改善が得られないと感じている方や、主治医に勧められていらっしゃる方、薬だけでは変わらないのではないかとご自身で感じられてカウンセリングを選ばれる方などがいらっしゃいます。こうした方々との面接は服薬治療と並行して行われることが多いです。

 ③は主に対人援助職の方です。精神保健福祉士、教師、児童養護施設職員、看護師、介護職、心理職など様々です。こうした職種の方は、自分自身について考える機会が多く、自分自身を理解することが職務上のパフォーマンスに影響を与えることが多くあります。
 また、対人援助職の方のカウンセリングではなく、その方が援助する対象(患者・クライアント、児童・生徒など)の方についてのコンサルテーションを行うこともあります。コンサルテーションとは、異なる専門家同士で、援助対象についての理解やよりよい援助の在り方を話し合っていくプロセスのことです。

 カウンセリングにいらっしゃる方を3つのパターンに分けて説明してみました。もちろんこの3つに該当する/該当しないを気にされる必要はありません。
 最後に元も子もないことを書きますが、カウンセリングは基本的にどのような方でも受けて良いものですし、ご自身が受けたいと思ったときに受けるのが良いと思います。

2020年10月10日

面接の頻度について

 カウンセリングを継続して行っていく場合に重要なこととして、「面接の頻度」が挙げられます。カウンセリングにはどれくらいの頻度で通えばいいのか、ということは多くの方が疑問を持たれることかと思います。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

 「精神分析」を創始したフロイトは当初週6回の頻度で面接を行っていました。現在は週4回以上が精神分析の国際基準となっています。日本精神分析協会の精神分析家が提供する精神分析はこうした頻度のものになります。かなり多いように感じるかと思いますが、その分、深く濃密な時間を持つことができます。

 当オフィスで提供している精神分析的心理療法は週1回50分が基準となります。
一般的な心理カウンセリングについては「週に1回」、「隔週に1回」、「月に1回」、「必要に応じて」の主に4パターンがあると思います。これらの頻度をどのように使い分けるかはその心理士の考え方にもよりますし、働いている場にもよるでしょう。

 面接頻度は主にクライアント様がどういった目的でカウンセリングを利用されるかによって決まってきます。対人関係やご自身の性格、過去からずっと苦しんでいる問題など、長期的かつ内面的な問題である場合には「週に1回」の頻度をこちらから提案することが多くなるかと思います。これは頻度が増えるほどに社会的・公的ではない、より個人的で無意識的なことに向き合いやすくなると考えるからです。
 一方で焦点化・限定化されたご相談であれば、「隔週に1回」の頻度で行うことを提案することもあるでしょう。

 「月に1回」や「必要に応じて」という頻度については、基本的にはカウンセリングが終結に至ったあとや、相談事がある程度改善に向かったあとのフォローアップや経過観察的な面接を行う場合に用いることが多いと思われます。
 カウンセリング開始時から月1回という頻度で行うことは非常に難しいと私自身は感じています。相当に問題が限局化されている場合や、ある程度ご自身で対応しているが、専門家から少し異なる視点の意見も欲しいという場合など、いろいろな条件が整った場合には可能かもしれません。

 

 現在は、カウンセリングの形も多様化しています。重要なことはどういった機関でカウンセリングを受けるにしても、カウンセラーと頻度やアプローチについて十分に話し合うことだと思います。


2020年10月28日

カウンセリングの中に出てくる夢の取り扱い

 「夢分析」という言葉を皆様も聞いたことがあるかもしれません。

 イルカは幸運の象徴、父親は権威の象徴、櫛は恋愛エネルギーを暗示しているなどなど…。少し調べるとインターネットにもこのような解説が載っていて、これを見るだけでも楽しめそうです。

 私たち心理士もカウンセリング・心理療法の中で「夢」について扱うことがあります。このように書くとややスピリチュアルな印象を受ける方もいるかもしれませんが、決して夢に出てきた「人」や「物」、「出来事」をそのまま何らかの解釈に当てはめるようなことをするわけではありません。

 精神分析を創始したフロイトは夢について「無意識への王道」であると言いました。その方の無意識的な世界を知るときに夢は非常に豊かな素材を私たちに提供してくれます。

 私は夢分析そのものの専門家ではありませんが、人の「無意識」について理解するための非常に重要な素材として夢を捉えています。心理面接の中で夢の話題が出てきたときに、どのような夢であるかを詳しく聞かせてもらうことがあります。しかし、夢に出てくる素材だけではなく、その他にもいろいろなことに注目します。
 その夢の話がカウンセリングの場で話された文脈であったり、その夢からその方がどのようなことを連想されるかであったりなどです。

 夢は非常に摩訶不思議なものであり、かつ興味深いものです。あるときには現実的な自分の生活がそのまま出てくるような「夢らしくない夢」を見たり、あるときには全く夢を見なくなってしまったり、見たことは覚えているけど思い出せない夢があったり、逆に小さい頃から忘れられない夢もあります。そしてトラウマティックな体験をした方がその場面を繰り返し夢に見てしまうなど、辛い体験にも関連しています。

 大切なことは「夢」を使ってご相談者様の心の状態について共に考えることだと思います。当然ながら正解というものはありません。しかし、だからこそ夢は面白いのだと思います。

2020年11月09日

「発達障害かもしれない」という不安

<はじめに>

 「発達障害かどうか診断してほしい」という大人の方の相談が最近精神科や心療内科に多く寄せられているようです。「大人の発達障害」という言葉もよく見かけるようになりました。そして、私もこれまでの臨床経験の中で相当数こういった相談を受けてきました。そのため、今日は「発達障害かもしれない」という大人の方の相談について私の体験をもとに書いてみたいと思います。
 ※このブログの中で使用する「発達障害」という言葉は、「自閉スペクトラム症」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」をまとめた言葉として使用しています。「アスペルガー症候群」、「広汎性発達障害」、「高機能自閉症」といった言葉も「自閉スペクトラム症」に含まれているとお考えください。

 発達障害が具体的にどのような定義・概念であるか、その歴史的変遷などはここでは詳述しません。
ただし重要な点として押さえておきたいのは、「診断が難しい」ということと、「原因がはっきりしていない」ということでしょう。

※発達障害という概念のわかりにくさ、診断の難しさについては「こどものための精神医学」という滝川一廣先生の本が非常にわかりやすいです。

<発達障害かどうか>
 「発達障害ではないか」「発達障害かもしれない」という不安を抱え、相談・受診に訪れる方の多くは「対人関係の問題」と「不注意の問題」を訴えることが多いように感じられます。
 対人関係の問題としてよく訴えられる主訴には、職場でうまくいかない、友人関係が続かない、親子・夫婦関係の問題、(職場、学校で)いじめられやすいなどが挙げられます。そしてその結果、転職を繰り返している、ひきこもっている、孤立しているといった状態になっていることがあるようです。
 不注意の問題には、忘れ物が多い、物をなくす、遅刻が多い、同時に2つの事が出来ない、整理整頓出来ない、仕事の段取りがうまく立てられないなどが挙げられます。そしてその結果、上司に怒られる、日常生活がうまく回らない、進級が危ういなどといった状態になっていることがあるようです。
 
 ちなみにこういった困り感の報告だけでは発達障害かどうかはわかりません。こういった症状がいつからか、どの程度か、どのような状況で問題が起こるのか、他の困り感はあるかなど詳細に聴いたり、心理検査を行ったり、他の疾患を除外したり、親御さんからお話を聞いたりして精査し、最終的に主治医が診断を行います。

上記のような精査をした結果、
A:診察をした主治医も検査をした心理士も発達障害であろうと合意できる場合
B:発達障害かどうかについて両者の見解に違いが生じる場合(最終的な判断は当然主治医になりますが)
C:心理士も主治医も発達障害ではないだろうと判断する場合
の3つのパターンに至ることが私の場合多くありました。

AとBのパターンについては発達障害の傾向がある程度認められるだろうということで、福祉サービスの利用や服薬、診断書の発行、職場や学校での調整(合理的配慮)、生活上の工夫の相談、心理教育などが、ご相談者様の意向を踏まえながら検討されます。
※発達障害かどうかだけわかればいい、とその後の支援や診察を一切求めない方も多くいます。

 難しいのは3つ目のパターンです。発達障害ではないだろうと思われる方々です。発達障害ではないかもしれませんが、その方々が対人関係の問題や不注意の問題で苦しんでいるということが否定されるわけではありません。
 つまり、それらの問題は発達障害以外の他の要因によって生じている可能性があるということです。

<発達障害以外の問題>
 では発達障害以外にどのような問題が背景にあるのでしょうか?大まかにいうと、他の疾患・障害である可能性や、心理社会的な要因が背景にある可能性などが考えられます。対人関係がこじれる原因や仕事や生活上のミスや忘れ物が増える要因は当然ながらいろいろあります。

 1つ具体的な例を挙げながら考えてみたいと思います。ここではより個人的な考えや性格が影響している場合について取り上げました。

【不注意なミスに困って来院したAさん】
 営業職に従事するAさんはダブルブッキング、忘れ物、遅刻が多く困っており、ADHDではないかと上司に指摘され、来院されました。Aさんはこういったミスをしてしまう自分を過度に卑下し、落ち込まれていました。思春期以降くらいからこういったことに悩まれているようでした。
 Aさんのお話を聞いていくと、業務量があまりに多く、休みなしで働かれているようでした。しかし周りの同僚はAさんほどの状況ではないようです。Aさんは睡眠や生活習慣も不規則で、このような状態ではミスも生じてしまうだろうと思わずにはいられない状況でした。しかし、特徴的なのはAさんが「これは社会人としては当たり前の量で自分はまだまだ足りない」と繰り返していたことです。
 このようなあまりにストレスフルな仕事状況が最終的にはスケジュール管理、物の管理のミスとしてAさんの場合生じていたようです。そしてAさんは、自身がこのような状況に苦しんでいるにもかかわらず、この働き方をなかなか変えたくないとも思っているようでした。
 面接の中で、このような働き方の背景にはAさん自身の自覚していなかった「無意識的な不安」があることがわかってきました。それは言葉にするならば、「誰かの役に立っていないと自分は存在していないのも同然だ」というものです。こういった「無意識的な不安」を緩和するためにAさんはがむしゃらに働いていたようです。
 
 Aさんの場合、心理面接を継続していく中で、こういったAさん自身の不安が緩和されていき、それに伴って不注意症状は大幅に改善されました。そもそもの働き方自体が変化したためです。

 これはもちろん私が経験したことをアレンジして書いた創作のケースです。そして、具体的な治療プロセスを省略して結論だけ書いております。実際には「無意識的な不安に気づくまで」、「Aさん自身の不安が緩和されていくまで」にはある程度の時間がかかっています。

 このケースのように、不注意の背景に相談者様の性格・価値観・考え方の特徴が見られ、そのことが知らず知らずのうちに生活に歪みを生じさせているということは実際あります。
 不注意ではなく、対人関係の問題を理由に発達障害では?と来院される方の中にはなおさら、対人関係を滞らせるようなご本人が自覚していない感情や考えが背景にあり、問題を呈してしまっている方がいらっしゃいます。それは例えば、自信のなさ、自己嫌悪、承認欲求、嫉妬心や羨望、怒りや攻撃性、親しみや愛情、猜疑心や信頼感などにまつわるものだったりします。

 このように個人的な問題に原因があるかのように書くと、まるでその方の「性格が悪い」と言っているように読めてしまうかもしれません。当然重要なのは良い/悪いの「評価」ではなく、何が起きているのかという「理解」になります。
 そして最も大切なことは、何らかの感情・考え、性格的な偏りは、その方が生きるためにはある時期必要だったということが往々にしてあるということです。だからこそ、変えたくても変えられなかったり、わかっていても変化しにくかったりするのが人の生き方や性格なのだと思います。

<最後に>
 アダルトチルドレン、発達障害、HSPなど様々な心の苦しみや人間関係の苦しみを表す言葉はときに「流行り」ます。こういった言葉を知ることをきっかけに多くの人が自分について考え、カウンセリングオフィスや相談機関を利用しやすくなるとしたら、それは良いことかもしれません。しかし、「流行る」ことは良い影響だけを生むわけではないので、注意が必要です。
 「発達障害か否か」だけではなく、その苦しみの背景にも目を向ける必要が私たちにはあるのだと思います。

 

 

 


2020年11月28日

カウンセリングの中で生じる「安心」の効果と弊害

 カウンセリングには “安心する”という情緒体験がクライアント様に生じることがあります。今日はこの“安心”ということについて書いてみたいと思います。特に強調したいのは、“安心がもたらす効果”と“安心がもたらす弊害”についてです。

―安心がもたらす効果―
 辞書的に言うと、“安心する”とは心配がなくなることや、その状態が続くという意味が含まれています。
 自分自身の悩みや困りごとを語る際には、それが相手に理解されるか、受けとってもらえるか、といった“心配ごと”が生まれます。そのため、自分の相談をきちんと聞いてもらえることで心配ごとが消えて、安心するということがカウンセリングではまず基本にあるでしょう。
 加えて、ご相談にいらっしゃる方の中には、自分が悪いのだろうか?親が悪いんじゃないのか?上司のせいではないか?どこに相談すればいいのか?自分は発達障害ではないか?などなど、様々な疑問や悩みなどの“心配ごと”を抱えていらっしゃることが多くあります。
 こういった“心配ごと”に対して、「あなたが悪いわけではありません」「それは親の責任です」「上司に責任があります」「発達障害です/ではないです」などの「答え」がカウンセラーから提示されると、この心配事は一時的に解消されて“安心”がもたらされるかもしれません。

 ここでの“安心がもたらす効果”は、端的に言うならば「そのことについて考えなくてよくなる」ということです。つまり、自分が悪いかどうかで悩んでいる人が「あなたは悪くない」と言われることで、悶々とそのことについて考えなくてよくなる、ということです(多く場合が一時的な効果になると思いますが)。

―安心がもたらす弊害―
 しかし、ご相談者様がご自身の個人的な悩みや問題について解決したいと思うときには、この“安心”は弊害となってきます。
 なぜなら安心してしまうと、「考えること」から遠ざかってしまうからです。効果と弊害は表裏一体になっています。

 よくカウンセラーに対する批判の1つとして、「質問しても答えてくれない」ということが挙げられます。ここには質問に答えることで安易に「安心」を与え、問題について考えなくなってしまうことを回避しようとするカウンセラー側の意図が含まれている場合があるでしょう。同時に、カウンセラーによる「答え」は、一時的な効果しかないことを多くの専門家は知っています。


当オフィスでは「精神分析的心理療法」と「心理カウンセリング」を提供していますが、前者においては、「答え」や「解答」のような一時的な安心感を提供することは基本的にありません。それは精神分析的心理療法が目指す自己理解や改善には弊害となるからです。
一方で心理カウンセリングの場合は「答え」や「解答」のようなもの、つまりは具体的なアドバイスや助言をすることはあります。

 
 少しわかりやすく例を挙げてみたいと思います。
 会社の上司とのトラブルで抑うつ状態になり会社を休みがちになってしまった方がカウンセリングにいらっしゃいました。精神科にいくほどなのかわからない、こんなことで会社を休んで自分はダメ人間だと思ってしまう、抑うつ気分が強く今後どうしていいかわからない、といったご相談です。
 抑うつ状態が高まったときには正常な判断が出来なくなったり、睡眠がとれなくて十分は思考ができなくなったりといったことがあります。まずはご相談を聞きつつ、「方針」「助言」を行うことが多くなります。それはご本人の状態に応じて精神科・心療内科受診の促しや休職の検討や自宅での休み方などの話になるかもしれません。こうした話し合いは「どうしていいかわからない」という不安に一時的な「安心」を与える部分があるでしょう。
 一方で、数週間ないし数か月経って状態が落ち着いてきた際に、「そういえば目上の人間とトラブルになることを繰り返している」、「トラブルになると常に自責的に考えてしまう」といったご本人の性格的な特徴や繰り返されている問題が明らかになってきました。
 このような場合、ご相談者様がそういった繰り返されている問題、自分自身の問題について何らかの変化を求める場合には、精神分析的心理療法をお勧めすることがあります。こうしたより内面的な問題について取り組む場合には、当然わかりやすい「答え」や「解答」のようなものは存在しません。自分自身の「わからない」部分に向き合っていく作業になるからです。
 ただし、精神分析的心理療法の中では、これまで誰にも語ることのなかった自分自身について語ったり、感じたり、知ったりという体験が起こり得ます。その体験自体が安心感をもたらすということは十分ありえます。それは「答え」のような安心感とはまた異なるものだと思います。
 

 カウンセリングの中での「安心」について書いてみました。やはり「体験」について書く、ということは難しいですね。
 少しでもご相談を検討されている方のお役に立つ内容になっていれば幸いです。

2021年01月08日

個人で開業すること―空間―

 池袋心理オフィスを開業して約5か月がたちました。

 昨年から続くコロナ禍…その影響を受け、私が当時臨床心理士として登録していた池袋カウンセリングセンターは閉室、移転(市ヶ谷カウンセリングセンターへ)という事態になりました。

 コロナの影響もあり致し方ないと感じる部分もありましたが、それでもかなり衝撃的な体験でした。カウンセリングや心理療法においては、「場」「空間」「時間」が守られていることは非常に重要なことです。それが一気に崩壊してしまう出来事でした。

 池袋カウンセリングセンターは市ヶ谷に移転したので、そこで勤務することは可能でした。しかし、私はいずれ池袋で個人開業をしようと考えていたこともあり、かなり悩みましたが、今回のタイミングでの開業を決断しました。

 個人で開業することの良さはもちろん、部屋の設え、立地、サービス内容、料金などを自分自身で自由に設定できるということです。なんでも自由になるわけではないですが、そこには私個人の経験や考えが反映されることになります。ソファを選び、棚を選び、カーテンを選び、トイレの備品を選び…こうした手作りの作業は大変さと共に充実感のあるものでした。
 一方で、個人的な趣味・嗜好をどの程度オフィス作りに反映させるか、ということは非常に難しい問題です。精神分析の創始者であるフロイトの時代から、このことは議論されてきました。そうした議論の中の一つの考えには、治療者はクライアントを映し出す鏡のようであるべきで、あまり個人的な部分を出すべきではないという考えがあります。こうした考えに基づくならば、オフィスは出来るだけ無味乾燥としていて、特定の趣向を感じさせない方がよいかもしれません。
 逆に栗原(2011)はカウンセラー自身の居心地の良さや部屋が「生きている」という感覚を重視し、「相談室に置く備品も、私の趣向に導かれたものを選んでいる」と書いています。こうした考えも非常に重要だと思われます。

 私自身は比較的栗原の考えに近い感覚を持っています。あまりにも個人的な主張が強い部屋はどうかとは思いますが、「私のオフィスにクライアントさんを迎える」という感覚を大切にしたいと考えているからです。

 私のオフィスに対する印象はクライアントさんごとにもちろんかなり異なるでしょう。部屋の印象など全く頓着しないクライアントさんもいらっしゃいますし、部屋のインテリアや細部にある備品から私に対する印象を構成される方もいます。こういったこともカウンセリングを継続していく中では大きな意味を持つことがあります。
 
 以前の職場では、カウンセリングに通い始めて2年ほど経って、初めて目の前のテーブルに花が活けてあることに気づいたクライアントさんもいらっしゃいました。
 些細なことのようですが、通い始めの頃は全く意識にものぼらなかった“モノ”が、全く別の印象をもって視界に入ってくるということが私たちの生活の中ではあると思います。

 こうした空間を作っていくことも含めて、個人開業とはとてもやりがいのあるものだなと感じています。
 空間つくりに加えて、ブログにどんなことを書くのか、ということもカウンセラーの趣味や趣向が現れます。これもなかなか難しいものです。このことについてはまたいずれ書いてみたいと思います。

栗原和彦(2011) 心理臨床家の個人開業 遠見書房


2021年02月06日