漫画「凪のお暇」と自己犠牲的な性格について
漫画「凪のお暇」と自己犠牲的な性格について
(自己犠牲的、自虐的、自責的、他人のために動く)
先日「凪のお暇(なぎのおいとま)」という漫画が完結しました。ご存じでしょうか。
この漫画の主人公「凪さん」は、他人に合わせる生き方を小さいころから続けてきた20代のOLさんです。「空気読んでこー」を口癖に、相手の意見に同調し、自己主張せず、波風立てないように社会人生活を送っています。その結果、会社では雑用や面倒な業務が自然と凪さんのもとに集まり、過重業務に苦しみます。凪さんは、周りのみんなと比べて自分は存在価値の低い人間だから、そのように人よりも頑張ったり、身を削って働いたりするのは仕方ないと考えています。もちろん日々の生活の中で周りの人間に対して「あれ?」「ん?」と思うことがないわけではありませんが…。
漫画は、凪さんがこのような苦しいOL生活をやめ、空気を読む自分からの脱却を目指し、自分らしい生き方を模索していくところからスタートします。「自分らしい生き方を模索」なんて書くと、何かとても前向きな物語のように感じてしまうかもしれません。しかし、実際にはそんなことはなく、凪さんの新生活は苦難の連続になります。
どういうことか…。それは「空気読んでこー」的な生き方は、なかなかやめられず、凪さんはことあるごとに無意識に同じことを繰り返してしまうのです。また、空気を読まずに自分の本音に触れようとすると、そこでは見たくなかった自分のドロドロとした情緒に向き合うことになります(もちろん気づいていなかった自分の好意や喜びに触れたりもします)。凪さんは何度も自己嫌悪に陥りながら、自分と、そして他人の本当の姿を知っていきます。
この漫画は、自己犠牲的に生きてきた方が変化していくときの、綺麗ごとでは済まされない様々な苦しみを見事に描いており、とてもユニークな作品です。その苦しみを全体的にコメディタッチで描いているので、読んでいてとても面白いです。また、漫画の後半では、凪さんがどうしてこのような自己犠牲的なパーソナリティを形成するに至ったかについても、徐々に明らかになっていきます。
精神分析家である北山修は凪さんのような自己犠牲的な生き方をする方を「自虐的世話役※1」パーソナリティとして概念化しています。特に「鶴の恩返し」の「おつう」を例に挙げながら北山は論じています。自らの身体を痛めつけながら男性(他者)のために機を織り続けるあの「おつう」ですね。
自虐的世話役パーソナリティについて、北山は3つの特徴を指摘しています。
(1)自分を犠牲にしてでも他者の世話を焼く、面倒見がよい働き者
(2)誰かに頼ったり甘えたりすることを自分に対して許容できない
(3)こころと身体を酷使して、頑張ることにある種の快感や満足感を抱いている
北山はこうしたパーソナリティを有している人が、様々な適応水準に幅広く存在することを論じています。確かに自虐的に世話を焼く傾向は、程度によっては面倒見のいい人であり、職場で重宝される働き者でもあります。どんな職場にも1人や2人はいるのではないでしょうか。しかし、この傾向が過度になると自己破滅的な生き方になったり、極度に「自分」がない生き方になってしまう場合もあります。
このような自虐的世話役と思われる方が心理療法やカウンセリングを求める場合は様々な精神科症状や問題行動が表面化している場合が少なくありません。心身症、ストレス反応、過度な自責による抑うつ、自傷行為などです。
また、人間関係の問題を抱えている場合もあります。
●献身的で受け身的であるがゆえに、いいように利用されたり、過度な期待を向けられてしまったりする場合
例:凪さんの場合:広く受け容れてくれる人だと思われ、男性から過度な期待や恋愛感情を向けられたり、同僚にいいように利用され仕事をふられたりしています…
●周りのために自己犠牲的に行動しているにもかかわらず、気づかれない・感謝されないため、そのことへの怒りが蓄積され、あるとき無意識に爆発する場合
例:これは全く無自覚に爆発したり、または自傷行為や何らかの問題となる行動で表現される場合があります
●本当の自分の気持ちで人と接することが少ないために、誰とも親密になれず、孤独感を抱え続ける場合、また親密になれない結果、人間関係を定期的に切ってしまう(切れてしまう)場合
例:凪さんもOLをやめるときには同僚との関係や恋人との関係、全てを切り捨ててみんなの前から消えてしまいます(彼氏さんにはその後発見されますが)、また凪さんは自分が他者を見下しており、本当には心から関わっていないということに気づいたりします。
無意識に自己犠牲的に行動し、そのことに苦しみつつも、我慢し耐えることが正しいと感じている方は、多くいらっしゃるのではないでしょうか。自虐的世話役パーソナリティの方は、過剰な苦しみを抱えつつ生きることが「当たり前」だと感じている場合も少なくありません。そのため、「苦しい、辛い」と口にすることさえも、悪いことだと考えている方もいらっしゃいます。
では、そういう振る舞いをやめればいいのか、というと凪さん同様そう簡単にはいかない場合が多いでしょう。なぜなら、自己犠牲的な生き方は多くの場合、小さい頃にそのように生きざるを得なかったからこそ、身についたものだからです。自己犠牲的な行動をやめるということは、その方にとって大きな不安を伴います。
しかし、こうした自己犠牲的な生き方をしている方は、こころの奥深くに強い孤独感や怒り、寂しさを抱えている場合が少なくありません。
カウンセリングや精神分析的心理療法は、このような自虐的世話役パーソナリティの方が、その生き方ともう少し自由に付き合っていけるように手助けできる場合があります。「凪のお暇」のようにコミカルに解決していくことは難しいかもしれませんが・・・・。自己犠牲的な自分の性格に苦しんでいる方、そのような自分を変えたいと思う方は、一度カウンセリングや心理療法の活用を考えてみてはいかがでしょうか。
※1 北山修(2017) 定版「見るなの禁止」岩崎学術出版社.